2021年9月16日木曜日

おうちで知りたいアジアのアート Vol. 10

マニュエル・オカンポ作品を読む
(ゴキブリだけでなく)

(おことわり)

フィリピンの画家マニュエル・オカンポは欧米でも評価が高く、バルセロナのCasa Asiaほか大型の個展も多数開かれているため、アジ美で所蔵している図録だけでも非常に多くの評論が書かれてきました。このエッセイはそれらを読破して書くことも想定して「オカンポを読む」と題したつもりでしたが、大量の英語文献を十分に読むことができないうちに緊急事態宣言でコレクション室89日から閉室となってしまい、宣言の継続と開室が決まってからオカンポ作品の展示期間が91321日(15日休館)とわずか8日間しかなくなってしまいました。そこでここでは画中の文字と記号を「読む」ことに特化した文章として再開館に合わせて(少し遅れたけど)公開することにしました。

日本でのオカンポ作品掲載の展覧会図録と、今回読めなかったものを含む海外の英語文献(リストは末尾参照)はアートカフェのアジアギャラリー側黒テーブルのうえに作品展示終了後もしばらく出しておきますのでご覧ください。(黒田)


マニュエル・オカンポ 《すべてのものに開かれた天国
Manuel Ocampo Paradise Open to All (Paraiso Abierto a Todos)
1994
アクリル、コラージュ・画布 acrylic and collage on canvas
177.4 x 270.3cm
(写真は上記リンク参照)

通常の美術館よりはるかに多様(雑多?寛容?)な当館のコレクションのなかでも、このマニュエル・オカンポの《すべてに開かれた天国》ほど強烈な……というか、「イヤな」絵は少ないでしょう。(9/21までアジアギャラリーB「虫・ムシ・むし―アジア美術で虫あつめ!」で展示中)

何しろ中央にいるのは血のしたたるナイフをもつゴキブリで、その下にはマンガっぽいドブネズミ。そのほか、不穏な政治シンボル、気持ち悪い内臓の図解、悪徳を示す怪物や酒など、画面に貼り付けられた印刷物を含め、雑多で「イヤな」図像に混ざって、文字(ことば)や記号も作品の重要な構成要素になっています。文字・記号をひとつひとつ解読していくとさらに「イヤなもの」が見つかりますが、そこからこの作品の全体像を解読してみましょう。 

以下、赤字は画面のなかの文字、青字はその日本語訳です。

 

中央 ゴキブリ

 向かって右の中の脚がもつ十字架 「F.U.

英語で最もよく知られた(が、絶対に使えない)罵倒語「four letter words」=F**k You

 向かって左の上の脚がもつ錫杖の先 「IHS

ラテン語Iesus Hominum Salvator 人類の救い主イエス

 向かって左の中の脚(コラージュ) 

Heineken 日本でもおなじみのオランダ製ビール「ハイネケン」。

から、王冠と荊(いばら)の冠をかぶったゴキブリがキリスト教の聖像を演じている(?)ことは明らかですが、なぜゴキブリ? オカンポによると、マニラ中心部にある某教会の聖母マリア像の形がゴキブリに似ているからだといいますが…… 

 

中央下

お金の上でネズミが食べているもの 

ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)のシンボル、ハーケンクロイツ(鉤十字)。オカンポは1992年に、ドイツのカッセルで5年ごとに開かれる巨大現代美術展「ドクメンタIX」に招待されますが、今もなおドイツではタブーであるハーケンクロイツを描いた作品の展示を拒否されるというトラブルにあいます。

  

左上 

(左上と右上)鷲のエンブレム

ドイツ帝国 (1889–1918)の紋章。ナチスの政権奪取後も使われた。 

白い十字架

左上から時計回りに IC XC NI KA 

IC JesusXCChristのギリシャ語の最初と最後の文字。NIKAはギリシャ語で「征服者」の意味。全体でJesus Christ Conquers征服者イエス・キリスト

この十字架はギリシャ式で、ロシアなど東方教会のイコンや聖餅(聖餐用の薄い丸パン)に現れる。

 

左下 


左中央(コラージュ) 

CHIMERES—MODERN EXAMPLES / 311. Paris, Notre-Dame, Chimères (Restored) / 312. Paris, Notre-Dame, Chimères. 

キメラ 現代の作例 311. パリ、ノートルダム寺院のキメラ(修復後) 312. パリ、ノートルダム寺院のキメラ

キメラ(キマイラChimairaともいう) は、ギリシャ神話に登場する怪物で、ライオンの頭と山羊の胴体、毒蛇の尻尾を持つ。この写真は「ガーゴイル(gargoyles)」と呼ばれるキメラ形の建築装飾 で、「西洋建築の屋根に設置され、雨樋から流れてくる水の排出口としての機能を持つ」(Wikipediaより)ものですが、フランス革命での破壊後に修復された現在のノートルダム寺院のものは雨樋の役を果たしていないようです。

(キマイラのフキダシ)

Parlez vous, Francais?  Page 119 

(フランス語) フランス語、話せますか? 119

(ページの上の戦う人物の絵の上)

I HATE EUROPEANS 私はヨーロッパ人が嫌いだ

棍棒をもって殴ろうとする男と踏みつけられた男は、作者によればおそらくルネサンス彫刻で旧約聖書の「カインとアベル」のイメージか。メトロポリタン美術館所蔵の彫刻に似ています。カインとアベルはアダムとイヴの息子で、カインはアベルを殺し、かつそれを隠す嘘をついたので、人類最初の殺人・虚言という罪を犯した人物になります。

そこに書かれた「I hate Europeans」は何かの引用かと思いましたが作者考案のフレーズのようです。前述のようにオカンポは1992年に、「ドクメンタ(Documenta IX)」で展示を拒否される事件があり(注)、そのあとに描いた作品にこのフレーズが描きこまれた絵があります。しかしこのフレーズは必ずしも作者個人に起こったドクメンタ事件だけを反映したものではなく、ヨーロッパから政治的・宗教的・文化的な支配を受けてきた(と思う)人々によるルサンチマン(抑圧された怒り)や復讐への欲求(アベルを殺したカインのように?)が吐露されたものと思われます。

 注:1992年のドクメンタIXはヤン・フートをディレクターとして開催されましたが、これに招待されたアジア人作家は、下記の4人の日本人作家以外では、マニュエル・オカンポ(フィリピン)、ブッペン・カカール(インド)、アニッシュ・カプーア(インド)、ユク・クンビョン(韓国)だけでした。このうちオカンポは当時ロサンゼルス在住で、片瀬和夫(カッセル)、長澤英俊(ミラノ)、竹岡雄二(デュッセルドルフ)、カプーア(ロンドン)はみなヨーロッパ在住でしたから、アジア在住は舟越桂、川俣正、ユクだけだったことになります。国際舞台に登場するアジア作家が未だ欧米在住作家中心の時代だったことがわかります。黒田はこのドクメンタIXを駆け足で見てますが、地下にひっそりと展示されていたらしいオカンポ作品は見つけられませんでした…… なお私は同時に開かれていた「他文化との遭遇 Begegnung mit den Anderen」という非欧米圏の作家を紹介する展覧会のほうも行ってます――そのディレクターHamid El Attar氏はアジア展の調査で福岡を訪れたことがあり(なので氏は第3回アジア美術展の日本作家から山本富章、仁科茂、神山明を選んだ)、私が蔡国強を紹介したので。

体内器官図 

同じ図がアンディ・ウォーホルの作品《生理学的図解Physiological Diagram(1985) に使われています。マンガ本か通俗的な雑誌の広告に使われたものらしく、オカンポ作品より9年も前の制作ですから、けっこう長い間人目にふれやすい図像だったのでしょう。オカンポは文字、顔、手、足のほか中央下部の直腸のところに睾丸のようなしわと毛を描き加えています。

この作品と似たゴキブリが描かれた作品では、ゴキブリは液状の脱糞をしており、他の作品にもスカトロジー(糞便趣味)が見られます。作者によれば、父親が結腸癌を患い人工肛門を使っていたことから、糞便のイメージへの執着となったのだろうとのこと。

  体内器官

LIBRE libre」ならフランス語の「自由」ですが、これが書かれた器官=肝臓(liver)のしゃれでしょうか。

JESUS NAZARENUS REX JUDEORUM ユダヤ人の王、ナザレのイエス

イエスが十字架にかけられたとき、ローマ帝国への反逆者である罪状を書いたもの(福音書による)。

 ウォッカ

Murmansk  Vodla  ムルマンスク北極圏大のロシアの都市。

  

右上端

(コラージュ) 

Left: Dress uniform, female work leader. Centre: Working uniform; female worker. Right: Dress uniform; female worker

左:女性労働者のリーダーの制服、中央:女性労働者の作業服、右:女性労働者の制服

作者によれば、ナチス時代のドイツのデザインを集めた本から。淡々とした解説付きの図鑑のようですが、ナチスが日常生活のすみずみまで支配していたことを示すものではと推測。左右の女性の腕にはハーケンクロイツのワッペンが……


PRO STATUS QUO

ラテン語で「現状に賛成」。ここに描かれている状況は(権力と金を支配するゴキブリ以外は)誰も賛成したくなさそうですが

  頭蓋骨と交差した骨

中世後期以後、死のシンボルとして使われ、特に「死を思え memento mori」の意味で墓石に刻まれるフレーズ。

  

右中央 

Abierto Todos(スペイン語) すべてに開かれた

題名になっている「Paraiso Abierto a Todos」は、一見寛大な救済をおこなう宗教の理想を示すようですが、実は作者によれば、メキシコの通俗雑誌に掲載されていた、蛇の油など願いをかなえる魔力のある(らしい)あやしげなグッズを売る広告のフレーズだったとか…… ほかUFOカルトでも使っているので、かなりアングラ(死語)でカルトな世界の欲望や妄想の混じった言葉のようです。

 

右下

文字のコラージュ

261. Vertebral arches with ligamenta flava, / (from in front.) 

椎弓と黄色靱帯(正面から見る)

827. Branches of the right n. [nervus] mandibularis (V), / (more superficial layer, viewed from the right)

右下顎神経(「第5脳神経=三叉神経」の第3枝)の分枝(より表面に近い層、右側より見る)

680. Right thoracic cavity and septum mediastinale, (viewed from the right, after removal of the lungs and pleura.)

右胸腔と縦隔(右側より見る。両肺と胸膜の摘出後)

703 and 704. Right testicle and epididymis, / (viewed from the lateral surface) 

右睾丸と副睾丸(外側面から見る)

318. Joints of the right foot, articulationes pedis, / (viewed from the back of the foot.)

右足部の関節(複数)、いわゆる「足弓」(右足の後方から見る)

582. Musculature of the tongue / (viewed from the right)

舌の筋肉組織(右側より見る)

 

解剖学の専門書の図解からとられたもののようです。(医学用語翻訳協力 宮本初音)

  

右下隅

写真コラージュ

Kessler Smooth Silk American Blended Whisky 

アメリカでも最も安価なウィスキーらしい。しかしこのケスラーものムルマンスクもオカンポは飲んだことがなく(フィリピンでは入手できなかった)、これらのお酒のやたらでかい写真がチラシに使われていたのを見ただけだそうです。

  

……さて、以上のような文字・記号の解読から何がわかるでしょうか?

第一には、(仮に以上がまったく解読できなくてもある程度図像だけで伝わりますが)フィリピンや中南米、アフリカなどを植民地化する手段(目的?)でもあったキリスト教のもつ権力性と、暴力的犠牲を正当化する欺瞞を暴くことです。そのことは、聖者を演じるゴキブリだけでなく、左右のキリスト教シンボルと、ナチスによるドイツ帝国のシンボルの結合からも明らかです。そこには、ドクメンタでの事件でも現れたような、ヨーロッパ文化圏ではタブーとされてきたものを(フィリピン人という部外者である立場を利用して?)しれっと白日のもとにさらそうとする作者の姿勢が現れています。

第二には、内臓、睾丸、解剖図からとられた文字という、キリスト教では下位におかれる、精神を欠いた肉体への直視です。広告のようなアルコールのイメージも、宗教や道徳による制御を超えた肉体の快楽、すなわち「罪」を暗示します。史上初の罪人であるカインや、異教的なキメラもヨーロッパ的倫理・価値観の外にあるものです。

 第三には、そのようなヨーロッパ的倫理・価値観にまっこうから対立するような反倫理的・犯罪的な発話・意見表明です。そのことは、オカンポ独特の絵画スタイルに深く関係しています。

ヨーロッパでも第一級の絵画を生み出してきたスペインの支配を300年以上も被ってきたフィリピンの絵画技術は全アジアでもトップクラスといえます。しかしオカンポの絵画は、欧米でも高い評価を受ける資格のある強烈なイメージと構成力を持ちながらも、スペイン流のアカデミックな技術とは無縁です。というのも、オカンポは若いころにスペイン時代の宗教画を模した(いわば贋作の)絵を描く仕事や漫画(cartoon)の経験もあり、油彩による高度な写実主義を極めるよりも、布教や娯楽のための簡略化され図像の意味を瞬時に見る人に伝える手段としての絵画表現を身に着けてきたのです。

それは絵画paintingというよりいわば「大衆美術」としての「絵picture」ですが、漫画やイラストなど印刷物(およびインターネット上の絵)を除けば、現代の「大衆美術」としての「絵」はどこにあるでしょう?――都市の壁面にゲリラ的に描かれるグラフィティや勝手に貼られるポスターでしょう。日本ではもともと壁画を描ける物理的な条件が乏しく、公共空間への規制も厳しいためか、グラフィティを見るのは難しいですが、日本でも有名になったバンクシー作品を含め、欧米の大都市や、アジアではインドネシアを筆頭に、都市空間でのグラフィティを見ることができます。

オカンポの「絵」は、「スタイル」においても、また公共空間での匿名的な「発話」という意味でも、まさにそのグラフィティに似ています。スタイルにおいては、手早く(人目を避けて秘密裏に)描かれた簡略化され明快な図像。ところどころかすれたり汚れたりしている痕跡。見知らぬ作者(?)たちの重ね描きによる無関係かつ乱雑な図像の並置、また見知らぬ広告主(?)たちが自分勝手に張り付けていくポスター。また、お金も自前の媒体も持たない人や組織が、手軽に不特定多数の人にメッセージや情報を伝えるグラフィティの「発話」方式も、オカンポは再現しています。さらに、そのメッセージや情報が、社会規範に挑戦したり無視したり、公(おおやけ)には言いにくい不平不満、個人や集団への差別・排斥・罵倒――現代ではインターネット上の掲示板やSNSで野放しになっているような、「意見」とはいえない「発話」(つぶやきtweet?!)がが許される場、それが都市空間のグラフィティです。

しかしもちろん、オカンポの「絵」は都市空間の無法(しばしば違法)なグラフィティではなく、美術館やギャラリー向けの「展覧会」で発表され、裕福な機関や個人に売られていく「絵画」です。なので路地裏の薄暗いじめじめした場所の壁に描かれるグラフィティとは受け手も機能もまったく異なります。さらに決定的な違いは、オカンポの作品を貫いているのは、表面上は、ヨーロッパの政治・宗教・文化支配へのあからさまな拒否、揶揄、罵倒ではあっても、それは作者自身の個人の声というより、ヨーロッパ(あるいは異文化の権力)に支配され抑圧された人の、言いたくても口に出せない声をいわば「引用」したものだということです。もちろんその裏には、アジア最長の植民地支配を受けたフィリピンの出身で、かつロサンゼルスやスペイン各地で暮らした経験のある美術家としてのオカンポ個人の複雑なアイデンティティ意識があるわけです。

今回メールで作者に図像や言葉の源を問い合わせてわかったことは、個々の図像や言葉も、作者の自作・発明によるものと、彼が都市空間や出版物などで見たものとの区別があいまいだということです。宗教・倫理も伝統も徹底してバカにしているようなオカンポの作品は、そのまま受け取ればそういう宗教・倫理や伝統を大事にする人々には噴飯ものであり徹底して抗議する対象となりますが、オカンポの場合、「発話」しているのが特定の個人ではなく、匿名のグラフィティと同じく、もはや誰が誰に対して訴えているのかわからないメッセージ、広範な時空間を渉猟することで集められた多数の「発話」となっています。すると作者に向けられたいかなる抗議も無効となり、抗議する側も(作品の鑑賞者として)、誰が誰に対して発話しているのかという問いを歴史と社会とマス・メディア(および現在のSNSなどの公共空間における匿名の発話)の闇のなかを深掘りしていく恐怖に向き合わないといけません。

強烈な図像だけでなく文字・記号でも「イヤなもの」を集積させたオカンポ作品を、深刻な(検閲に至るような)論争から救っているのは、どんなに極論やナンセンスに見えても描かれたメッセージには歴史的な真実を幾分か含んでいることです。それに加えて、彼が描く・書く・貼り付けるもの全体の狂騒的なバカバカしさ、ユーモアがあるからです。そのようなユーモアがあるからこそ、私たちは残酷な事件、過酷な状況、忌まわしい歴史、そして文化や地域を超えた普遍的な人間の「罪」を客観的に正視することにより、現代の世界を生き抜いていく力をオカンポ作品は与えてくれるのではないでしょうか。

(学術交流専門員 黒田雷児)


参考文献 

川口幸也他編『アメリカン・ストーリー  移動と変容の中で』(朝日新聞社、1997年)

保坂健二朗他編『現代美術への視点6 エモーショナル・ドローイング』(東京国立近代美術館、2008年)

福岡アジア美術館編『アジアコレクション100 福岡アジア美術館所蔵品選』(福岡市文化芸術振興財団、2015年)

国立新美術館、森美術館、国際交流基金アジアセンター他編『サンシャワー : 東南アジアの現代美術展1980年代から現在まで』(東京国立新美術館、森美術館、国際交流基金アジアセンター、2017年)

 

Selected Bibliography

Documenta IX: Volume 1, 3 (Stuttgart: Edition Cantz, 1992).

Documenta IX: Guide/Kurzführer (Stuttgart: Edition Cantz, 1992).

Asia/America: Identities in Contemporary Asian American Art (New York: Asia Society Galleries and The New Press, 1994).

Virgin Destroyer: Manuel Ocampo (Honolulu: Hardy Marks Pubulication, 1996).

Manuel Ocampo: Heridas de la Lengu [Wound of the tongue], Selected Works, ed. Pilar Perez (Santa Monic: Smart Art Press, 1997). [Spanish/English]

Manuel Ocampo: Yo También Soy Pintura (Badajoz: Museo Extremeño e Iberoamericano de Arte Contemporáneo, 1998). [Spanish/English]

Bastards of Misrepresentation: Manuel Ocampo (Barcelona: Casa Asia, 2005).

Manuel Ocampo: Mumu Territorium: Jabar Logic in Times of Mcarthurian Transgressions Multiplying on the Border of the Concatenated Post-Duchampian Theatre Swastikating between Love and Hate [The paroxysmal Triumph of Painting Failures in the Burnik Arena of Meaning Emptied of Signs] (Makati: Finale Art File publication, 2005).

An Arcane Recipe Involving Ingredients Cannibalized from the Reliquaries of Some Profane Illumination: Manuel Ocampo (New York: Tyler Rollins Fine Art, 2010). 

(9/18更新)