2023年5月31日水曜日

新ウェブサイト「アジア美術資料室」使い方指南 初級編③(自分基準1)

では次に、「調べる」メニューで、もうちょっと「データベース」ならではの使い方に入ります。

でも多くの方が「アジア美術なんて何も知らないので何をどう調べればいいのか」とお思いでしょうから、いっそ、「自分基準」やってやりましょう某アニメキャラのせりふ。知らない人はコピペで検索してね。私も見てないんだけど

自分基準1:福岡で何があった?

ネットだから(日本語読める人なら)世界のどこにいてもいいのですがとりあえずローカルな例で。

トップから「調べる」→「年表 検索」→「フリーワード検索」

キーワードで「福岡」と入れて検索。

・右上の「並び替え」で「開始年」(古新)で年代順にソート(並び替え)。

・「もっと見る」で下にスクロールすれば新しい事項が出る

「福岡」という文字で探すため「福岡アジア美術館」所蔵作家とかブログなども拾われるので64件も出ますが、ほとんどは福岡で開催された展覧会です。同じ検索で「東京」だと112件ですから、首都圏集中で展開するのが近現代美術の常であることを考えれば、半分以上の福岡は相当に多いといってもいいでしょう。福岡市美以後の福岡が、日本における(いや、世界における!)アジア現代美術紹介の先駆けだったことはもっと市民の方々にも知っていただきたいと思います。

ところで、よく見れば、1965年にも福岡「証券ビル」で「アジア現代美術展」が! 何これ?? 香港のキャセイ航空による史上初のアジア現代美術展?














なおこのサイトは和英バイリンガルなのですが、和英を完全に分ける構造になっていて、英語でネット検索するためにこの年表の英語画面にとぶには、詳細画面の一番下の「管理番号」をコピーして、英語のChronology Searchのキーワードで検索しないといけません(直リンク設定すればいいのだろうけど)…するとこれが出ます 
The first exhibition of Asian contemporary art by Cathay|Search Result List|Chronology|Exploring|Asian Art Resource Room (asianart-gateway.jp)
(6/1 論文へのリンク、日本語→英語への直リンクを設定しました)

ちなみにこの展覧会は、筆者が福岡の1960年代美術の新聞切り抜きを某美術館で見せてもらったときに見つけたもので、びっくりして、初代アジ美館長の安永幸一氏に見てないか訊いたところ、あいにく福岡にいなかった時期。またシンガポール、台北、バンコクなどの研究者に知らせて、シンガポールの新聞にのったこの展覧会の記事を見つけてもらいました。ちょうどそういうタイミングで出会ったのが、香港からアジ美レジデンス(サポートプログラム)参加のパン・ルーさん。香港の航空会社キャセイ・パシフィック主催展ですから香港の人に調べてもらうのがいいと思い情報提供すると、さっそく調べて論文にしてもらいました! 下記は香港理工大学(Hong Kong Polytecnic University)のサイト。

Imagining asia through a tour of the orient: Cathay pacific’s contemporary art in asia exhibition of 1965(東洋旅行でアジアを想像する キャセイ・パシフィックによる1965年のアジア現代美術展) 

ただし、巡回先の各地に資料は残っていると思われるものの、未だに正確な巡回情報(会期・会場)、出品作家は一部しか明らかになっていません。この1965年の展覧会を福岡(または東京、大阪)でご覧になった方はいないでしょうか? パンフとか写真とかお持ちの方はぜひご連絡ください!

(6/1編集)

(つづく)


 

2023年5月24日水曜日

新ウェブサイト「アジア美術資料室」使い方指南 初級編②(知らない用語)

初級編続き。今回は「用語集」から。

項目はまだ40件と多くありませんが、アジア美術特有のカテゴリーを見てみましょう――トップメニューで「用語」をクリックすると、


「洋風画」「伝統美術」「フォーク・アート」「大衆美術」「グループ・運動」「技法」「美術学校」「重要展覧会」というカテゴリーから選ぶことができます。後半の「グループ・運動」「技法」「美術学校」「重要展覧会」なら、日本や欧米の美術でも「ポップ・アート」とか「コラージュ」とか「東京藝大」とか「ドクメンタ」などが想定されますが、

前半の「洋風画」「伝統美術」「フォーク・アート」「大衆美術」は、どうも「現代アート」とはだいぶちがうみたいです。欧米の近代以後のアートは、これらをすべてを超克する・排除する(あるいはつまみぐい的に利用する?)ことで成り立っているといっても過言ではないですから! 「これが美術なの?」と不審がられそうなことを平気でやっているこれらのカテゴリーこそ、「アジア近現代美術」ならではの複雑さ、多層性、そして魅力を示すものといえます。

そこからはいろいろな問題が見えてきます――ヨーロッパの近代美術を学んでそこからいかに独自の様式を見出すか。植民地、独裁制、階級社会などの問題をいかに個人の創造性が突破し、政治的に独立し文化的にも自立し、エリートと大衆のギャップを埋めていくか。それはアジア各地の共通の課題なのですが、逆に考えれば、実は私たちが親しんで自明のものを思ってきた欧米美術(そして日本美術も!)が排除してきたものが見えてくるのです。

なんてつい先走って言ってしまいましたが、まずは、アジ美の所蔵作品・作家へのリンクがあるので、想定外の意外な作品たちにまずは出あってみてください。

(つづく)


2023年5月16日火曜日

新ウェブサイト「アジア美術資料室」使い方指南 初級編①

新ウェブサイトアジア美術資料室は、福岡アジア美術館が長年収集してきた資料と、全アジアに広がる人的ネットワークを生かして、アジア近現代美術の理解を深めるための入口(gateway)です。しかしこのようなウェブサイトは世界的にも類がなく、しかも、もともと一般の人には今もなお近代以後のアジア美術についてほとんど知られていないため、どう使えばいいいのか、何を調べればいいのかわからない方が多いかと思います。そこで、まったくの初心者の方から、ややつっこんだ調べものをしてみたい方々に、下記のような使いかたのメニューをご提案してみます。

初級編

 サイト内検索(なんでも)

「知る」用語集(知らない用語)

「調べる」年表 検索(自分基準)

中級編

「調べる」年表 一覧(どんな時代?)

「調べる」年表 検索(行ったことがある、行ってみたい地域)

 サイト内検索(お気に入りの作家)

上級編

 自分の研究テーマで

 日本との交流


ではまず「初級編」を。

 サイト内検索(なんでも)

一番簡単な検索は右上の虫メガネマークをクリック、思いつく言葉(「東京」「タイ」「ビエンナーレ」「交流」とか)を入れてEnter。このサイト内どこにあってその言葉を含む記事が出ます。そこから興味のある出来事などが見つかるでしょうか? 現時点ではほとんど年表ですが……(なおこのサイト内になければ通常のGoogle検索になります) 

「ビエンナーレ」なら26件、ヴェネチアだけでなくアジア各地のビエンナーレが出ます。



ただしこの初心者向け検索だと並び替えや高度な検索はできませんので、もっとつっこんでみたい人は年表の「キーワード検索」で。すると現在もアジアで続く最古のビエンナーレは韓国の光州(1995年~)でなくバングラデシュ・アジア美術ビエンナーレ(1981年~)とわかります。

(つづく)




 




2022年10月31日月曜日

イ・ビョンチャンによるワークショップ「呼吸するビニール彫刻」を開催

開催日時 2022109日(日)13:30-15:30

会場:アートカフェ

講師:イ・ビョンチャン

参加者:児童と保護者18人


第Ⅰ期レジデンス・アーティスト、イ・ビョンチャン(韓国)がワークショップを行いました。



参加者は、イ・ビョンチャンの展示作品《生物》をアーティストと一緒に鑑賞し、作品についての説明やビニール素材を使ってどのように作品が作られていったのかなどについて、デモンストレーションを見ながら話を聞きました。その後、2つのグループに分かれてビニールの彫刻作品を共同制作しました。















扇風機に取り付けた直径2m、長さ8mのビニールに空気が送り込まれると、参加者は、その大きさに圧倒されながらも、オブジェにはさみで穴をあけ、そこにデザインを施したビニールの立体作品を継ぎ足していきました。







そうして、皆で「都市に棲むもうひとつの生き物」を完成させました。


イ・ビョンチャン | 福岡アジア美術館 (fukuoka.lg.jp)



2022年3月11日金曜日

ワークショップ「誰でもかんたんリトグラフ!」を開催

 現在開催中の展覧会「ヒンドゥーの神々の物語」の関連イベントとして、リトグラフのワークショップを開催しました。

リトグラフは19世紀にヨーロッパで確立された印刷術で、インドでは20世紀に入ると各地に印刷所が作られ、ラジャ・ラヴィ・ヴァルマーらに代表される作者の手による神様のイメージが全土にもたらされるようになりました。

今回のワークショップでは、リトグラフの複雑な工程をごくシンプルな形で体験しました。



    講師は荒木さち子さん。2018年に開催した「闇に刻む光 アジアの木版画運動  1930sー2010s」展でもワークショップをして頂きました。


      まずは、版画用の特殊な紙に色鉛筆で思い思いに下絵(版下)を制作。



版ができたら、水と油の反発を利用してインクを載せていきます。



      インクを載せた版に紙をあてたら、バレンや足でふみふみして、
             イメージを定着させます。

            最後に、版をそっとはずしてできあがり。


                                      参加者の作品(1月30日・3月12日)




2022年2月25日金曜日

「ヒンドゥーの神々の物語」展によせて2   本当はおそろしい『ラーマーヤナ』

 

1 『ラーマーヤナ』の物語

329日まで開催中の「ヒンドゥーの神々の物語」展にかこつけて『マハーバーラタ』について2回にわたってぐだぐだ書きましたが、同展もあと1か月ほどになりましたので、『マハーバーラタ』と並ぶインドの大叙事詩『ラーマーヤナ』についてもぐだぐだ書かなければなりません。なぜ「書かなければ」?――後述のように、展示作品では『ラーマーヤナ』関係の作品のほうが『マハーバーラタ』関係よりもはるかに多いからです。

まずは『ラーマーヤナ』がどういうお話なのか紹介しましょう。『ラーマーヤナ』は『マハーバーラタ』よりも短いだけでなく物語の構造がはるかに単純です。『マハーバーラタ』には全編を貫く絶対的な主人公がおらず多数の英雄たちが過去から現在まで長大な歴史のなかで現れては消えていくのに対し、『ラーマーヤナ』はラーマというひとりの英雄的主人公をめぐる物語で、そのストーリーもラーマの苦難と戦い、勝利まで、直線的に、比較的短い時間軸で展開します。

アヨーディヤーの王子ラーマは知性、人徳、政治力、戦闘力そして容姿にも恵まれた非の打ちどころのない英雄で、美女シーター[1]をめとりますが、父王の妃カイケーイ(ラーマの実母ではない)による自分の息子バラタを王位につけようとする悪だくみによって14年間森に追放されます。ラーマは長子でもあるので、どう考えても納得しにくい話ですが、王はカイケーイへの約束を守るためにこの提案を受け入れざるをえなくなります。ラーマも父の指示に従い、王宮のあらゆる特権も贅沢な暮らしも捨てて、シーターと、腹ちがいの弟ラクシュマナとともにチトラクータの森で修行者のように暮らします(下図参照 このへん『マハーバーラタ』のパーンダヴァ兄弟の追放に似ていますね)

作者不詳《森へ追放されるラーマ》 福岡アジア美術館所蔵

しかしその間、ランカ(現スリランカ)の羅刹(ラクシャサ、悪鬼)ラーヴァナにシーターを奪われてしまいます。(下図参照 『マハーバーラタ』の英雄たちと同じようにラーマもこういう失策をするのです。鳥はシーターを救おうとしてラーヴァナに敗れた霊鳥ジャターユ。)

ラージャー・ラヴィ・ヴァルマー 《ラーヴァナにさらわれるシーター》 
福岡アジア美術館所蔵

そこでラーマはシーターを捜索するうちに猿王スグリーヴァと出会い、スグリーヴァの依頼によってその兄ヴァーリンを倒す(それも卑劣なやり方で…)ことでスグリーヴァとその強大かつ膨大な猿軍団の協力を得ます。そのスグリーヴァの軍師が、インドだけでなくアジア各地の『ラーマーヤナ』ではおなじみの猿ハヌマーンです。猿軍団に助けられ、インド大陸からランカ島に海神の助けを借りて渡り、激しい戦闘のすえにラーヴァナの息子インドラジットら強大な戦士を次々にうち負かし、ラーマはついにシーターを救出し、14年間の追放を終えてアヨーディヤーに戻って王位につくというハッピーエンド……でも後述のように実はそうではないのです。


2 過剰な言語表現

という話を頭に入れたうえで「ヒンドゥーの神々の物語」展示から『ラーマーヤナ』のキャラが描かれた(すべて印刷物ですが)作品を拾ってみますと、第4章の展示コーナーで『マハーバーラタ』5点、『ラーマーヤナ』11点で、すでに後者が2倍です。他の場所に展示されている作品を含めると、『マハーバーラタ』関係はこの5点のほか『シャクンタラー』が6点、ダマヤンティー1点、ムケーシュ・シンの絵による現代のグラフィック・ノベルだけなのに対し、『ラーマーヤナ』関係は、ラーマとハヌマーンが描かれたものでラーマを主とするものが15点、それ以外でハヌマーン単独か主とするもの17点、ラーマ単独か主とするものが8点、シーター単独か主とするもの2点、ラーヴァナが1点、『ラーマーヤナ』の作者とされるヴァルミーキー1点で、計44(ヒマな人は自分で数え直してみて……)、それ以外にアビシェーク・シンの『ラーマーヤナ3392A.D.』やムケーシュ・シンのラーヴァナ像もあります。いかに『ラーマーヤナ』がヒンドゥー教図像にしばしば登場するかおわかりいただけるかと思います。なぜでしょう? 

第一には、『ラーマーヤナ』の登場人物は、『マハーバーラタ』よりも歴史的実在性に縛られず、特にラーマとハヌマーンは、ヒンドゥーの神・女神と同等の崇拝の対象になっているからです。第二に、これは勝手な推測ですが、ハヌマーンとラーヴァナが示すような超人間的なキャラクターが活躍し、クライマックスの戦闘も、『マハーバーラタ』のクルクシェートラの戦いのようなリアリズムが通用しない、猿[2]軍団を指揮して海を渡ってランカの要塞を責めるという巨大スケールと想像力の飛翔を伴うものであり、図像(イメージ)化への欲求(それが困難なものも含め)を誘うからでしょう。その途方もなさの一例が、ハヌマーンが、戦いで傷ついたラクシュマナを救う薬草を求めて、薬がどこにあるかわからず山の頂きをまるごと持って来てしまうというエピソードです(下図参照)。そもそもハヌマーンは空を飛べるし、体の大きさを自由自在に変えられるウルトラマン(昭和世代ですみません)なのです。

作者不詳《薬草の山を運ぶハヌマーン》 
福岡アジア美術館所蔵

このような「壮大強烈な想像力」(阿部知二)による物語ですから、アビシェーク・シンの『ラーマーヤナ3392A.D.』であれ、永井豪によるマンガ化であれ、SF仕立てにアレンジできるのです。前回のブログで『三国志』みたいに『マハーバーラタ』をマンガで読めないかと書きましたが、この永井豪版『ラーマーヤナ』=『神話大戦』はこの古典のおもしろさを手軽に味わうには悪くありません。何しろ永井は、『ハレンチ学園』から『デビルマン』『バイオレンスジャック』などの、お色気(死語)とバイオレンスに満ちたアナーキーな作品でマンガ史に残る傑作を残した人ですから。「ラーマが童顔すぎ貫禄がない」「SF的キャラやメカが安っぽい」「シーターがかわいくない」(好みによるが…)「お色気シーンが原作を逸脱している」(まあ永井豪だし…)というツッコミはご勝手に。

永井が解説に書いているように、原作にはそもそも絵にするのが著しく困難な描写がしばしば登場します。たとえばラーヴァナは、阿部知二訳によれば(以下の引用も同じ)「その巨口は死神の
あぎと(黒田注「顎(あご)」)さながらであった。彼は、10の頭、20の腕を持ち、体は堂々たる王者の偉容をしめし、肌は瑠璃のごとく照り、歯は純白であった。」……こんなの絵に描けない!と永井豪はラーヴァナの「10の頭」を描くのをあきらめてい

ますが、インドの伝統的な図像ではしっかり「10の頭」を描いています!(下図参照)


ピエール・ソネラ『東インドと中国への旅』(1782年)より《ラーヴァナ》
福岡アジア美術館所蔵(黒田豊コレクション)


作者不詳《ラーマとラーヴァナの戦い》(部分)
福岡アジア美術館所蔵(黒田豊コレクション)

アビシェーク・シンによる現代のグラフィック・ノベルの絵(下図参照)でも同様ですが、上から見たらどうなっているのでしょう?(昔日本各地のホテルとかレストランにあった回転する展望台みたいになっている?) 

アビシェーク・シン《瞑想するラーマとラーヴァナ》 2014年 作者蔵

アジ美近くにあった全周囲展望台 回転したのか? (2004年筆者撮影)

ムケーシュ・シンの絵(図参照)では胴体に接した首のまわりから腕のようなもので9つの頭が伸びているという工夫をしてます。これならアニメ化もフィギュア化もできますね。

ムケーシュ・シン《究極の征服者ラーヴァナ》 2013年 作者蔵

しかしこのような工夫をしても、原作の文章表現による視覚化不可能な過剰さを著しく限定(矮小化)してしまうことは避けられません。後述の阿部知二版でも短縮版とはいえ二段組460ページ(1,400枚=560,000字)の長さですから、ストーリーを追うだけの訳書ではわからない変な表現を見つける楽しみもあります。たとえば、呪いで眠っているラーヴァナの弟クンパカルナを戦闘に参加させるために目覚めさせる方法=「一万頭の象が、高速度をもって彼の体躯を踏みにじった」…… いったいどんな情景なんだ! ありえねー!!!

 

3 文学作品としての『ラーマーヤナ』

このように「文章 text」と「図像 image」の乖離が気になるのは、私がこのたび阿部知二が英語版から編訳した『ラーマーヤナ』を読んで、物語の展開には必要のなさそうなやたらに長いセリフ、これでもかこれでもかと比喩が連なる美辞麗句にあふれていることがわかったからです。だいぶ昔に初めて読んだのは、『マハーバーラタ』と同じレグルス文庫[3]でしたが、そこでは『ラーマーヤナ』の比較的単純な筋を手軽にたどることができても、この古典を深く味わうには不十分だったのです。なぜ阿部知二版にしたかというのは簡単な理由で、近年の縮約版(中村了昭や池田運による全訳は読むの大変すぎ…)のうち、1冊になっていて、かつ原作に近いディテールが読めるのは河出書房新社の世界文学全集版だけだったからです。

1959~66年に刊行されたこの全集100巻のうちアジア文学は、中国の古典『紅楼夢』、日本とかかわりの深い魯迅、そして『ラーマーヤナ』だけ。その完結の直後(1966~70年)に刊行されていた筑摩書房の『世界文学全集』には、アジアから『論語』、『史記』、『唐詩選』、『西遊記』、そしてまたも魯迅が入ってますが、『ラーマーヤナ』はありません。『マハーバーラタ』がまだ人間のリアルな精神の揺らぎを扱っているのと比べると『ラーマーヤナ』はるかに荒唐無稽で、文学全集に含まれたヨーロッパ近代小説と同等に「文学」として読んでいいものかと思われるでしょう。それでも河出書房新社の文学全集に『ラーマーヤナ』が入っているのは、訳者であり編集委員[4]のひとりだった阿部知二の推薦によるのかもしれません。英文学者の阿部は、1942年に「徴用」でインドネシアのジャワ島に行ってインドの大叙事詩のことを知り、戦後の1961年に「アジア・アフリカ作家会議」のためにセイロン(現スリランカ)訪問、ラーヴァナがシーターを幽閉していたとされる場所を訪れて『ラーマーヤナ』を想起したというのは、日本の文学者と南アジア文化の出会いとして興味深い例です[5]。彼はインド文化やサンスクリット文学の専門ではないものの、複数の英訳書を参照して、時代背景などを補足する注や解説をつけてくれているのも河出書房新社版をお薦めできる理由です。

阿部ら編集委員が『ラーマーヤナ』を「世界文学」に伍するに値するとしたのは、単なる童話やマンガやアニメ向けのおもしろいお話にとどまらない深さを『ラーマーヤナ』が持っていると評価したからでしょう。ひとつの理由は、先に述べたような、視覚的形象を超えた過剰で奔放な言語表現からかもしれませんが、それにとどまらず、人間の弱さや運命の過酷さという、『マハーバーラタ』と同じく現代にも通じる普遍的なテーマが現れているからかもしれません。前述のように『ラーマーヤナ』は『マハーバーラタ』よりも人間離れした登場人物(神、悪鬼、動物を含む)が活躍するといっても、根本的には、神々でなく人間のお話だともいえます。ラーヴァナはいかなる神々にも負けない力を与えられているにもかかわらず、人間(ラーマ)にだけは滅ぼされるという設定は象徴的です。神々よりラーヴァナが強く、ラーヴァナよりラーマが強いわけですから、神々より強い人間がいるということです。あまりに超人的な活躍のためにラーマはのちヴィシュヌ神の化身とされますが、『マハーバーラタ』でパーンダヴァ軍を支援するクリシュナが神であるにもかかわらず倫理にもとる行動をして最後は死を迎えるように、クリシュナであれラーマであれ、いやラーヴァナさえも、その行動も思考もあくまで人間のものなのです。そこで展覧会での「ヒンドゥーの神々の物語」は、現代・日本からかけ離れた場所・時代の物語ではなく、あくまでも「人間の物語」として見ることもできるということになります。

 

4 ホモソーシャルな結末

しかし『ラーマーヤナ』を、神々の寓話としてでも、荒唐無稽なSFとしてでなく、人間の物語として読むということは、この古典の暗部にも向き合わないといけないことをも意味します。(以下「ネタバレ」がありますので、これから虚心に『ラーマーヤナ』を読んでみようという人は読まないように。)

ラーヴァナとの戦闘で負傷したラクシュマナを前に、ラーマは奇妙なことを言います。「妻ならばいずこの地にも見出し得、友ならばいずこにも求め得るが、かかる弟をいずこへゆけば持ち得るのか」。愛妻シーターを救うためにこそ大変な苦労をして(スグリーヴァやハヌマーンにものすごく迷惑かけて…)ラーヴァナと戦っていたと思っていた読者はこのせりふにとまどうでしょう。さらにこの前後のラーマのせりふからは、まるでラクシュマナが彼の恋人のように思われます。すると、現代社会学用語を知っている人は、二人には「ホモソーシャル」(男性たちが女性を排除した親密な集団を作ること)な関係があると思ってしまいます。実際、『ラーマーヤナ』には、ヒロインのシーターを含め、女性が主体的に発言・行動する場面はほとんどありません。行動する女性といえば、ラーマの追放を求めた王妃カイケーイとその侍女マンタラー、大戦争のきっかけとなったラーヴァナの妹のシュールパナカーという悪役ですし、長いせりふを言うのは、スグリーヴァの兄でラーマに殺されたヴァ―リンの妻ターラー、やはりラーマに殺されたラーヴァナの妻マンドーダリーの延々続く嘆きくらいで、これらの女性は男どうしの戦いの結果を受け入れることしかできません。

『ラーマーヤナ』の「ホモソーシャル」な性格(男どうしの絆を重視し女性を排除する)を決定づけるのは、物語の最後近くにあるラーマのせりふです。大戦争の勝利によって、長くラーヴァナにとらわれていたシーターと感動の再会を果たすだろう……という読者の期待を完全に裏切って、ラーマは次のように言い放ちます。「余が戦争を完遂したのは、おんみのためではなかったということだ。余の権威、名誉、また一門の光栄のためだったのだ。いま余は、夷狄(いてき)の家に長く滞留したことについて、おんみの徳性を疑うものである。」――それまでの英雄譚も愛の物語も台無しにしてしまうショッキングなせりふです。そこでシーターは火の中に身を投じ神々に守られて自らの潔白を証明するのですが、後世に付け加えられた最終巻では、シーターへの悪い風評が王の妻としてふさわしくないという判断から、シーターは離縁されてしまいます。この最終巻はまったく余計なものとされているようですが、上記のラーマのセリフはその前の巻にあるものですから、「文学」としての整合性・完結性を期待する読者には、「ラーマひどすぎる!」「がっかり!」「あれだけ多くの犠牲を出した戦いは何のためだったんだ!」「それが暴力によって拉致され監禁されたシーターに言うことか!」「シーターあまりにもかわいそう!」……と、現代人の読む「文学」としてはまったく受け入れがたい結末です。しかし、このような不条理で悲劇的な結末こそ、近代的な「文学」として回収できない、男性中心主義の本質的な暴力性を伝えているのかもしれません……とすれば『ラーマーヤナ』は『マハーバーラタ』以上に現代的な物語として読むことができるのかもしれません!

一見あまりに単純であまりに古めかしい『ラーマーヤナ』が、東南アジアまで広がる無数のバージョン、現代のマンガやグラフィック・ノベル、アニメまで再解釈され編集され続けるのは、時代と地域を超えた物語としての潜在力を『ラーマーヤナ』が持っているからに他ならないでしょう。

黒田雷児(学術交流専門員)

   

参考文献

*はアジ美図書所蔵  **は1,2巻のみ所蔵

*ヴァールミーキ(阿部知二訳)『ラーマーヤナ』(世界文学全集Ⅲ-2)、河出書房新社、1966

*河田清史『ラーマーヤナ インド古典物語 () () (レグルス文庫)第三文明社  1971

*永井豪『神話大戦1・2 ラーマーヤナ編 上・下』、徳間書店、1996

*ツルシダース(池田運訳)『ラーマヤン ラーム神王行伝の湖』、講談社出版サービスセンター、2003年 

**ヴァールミーキ(中村了昭訳) 『新訳 ラーマーヤナ (1)(7) (東洋文庫)、平凡社、2012-13

デーヴァダッタ・パトナーヤク (沖田瑞穂、上京恵訳)『インド神話物語 ラーマーヤナ 上・下』 原書房 2020



[1] 阿部知二訳で「シータ」ですがここではアジ美での表記を使います。

[2] スグリーヴァ軍には熊の兵隊もいるのですがなぜか個体が話に出ない、だいたいなぜ猿が熊を指揮できるんだ? インドに熊もいるんですね。ナマケグマだろうか。

[3] レグルス文庫版は短く読みやすいうえ、著名な版画家・駒井哲郎の木版画の挿絵が入っているのでお薦め。

[4] 阿部以外の編集委員は、伊藤整、桑原武夫、手塚富雄、中島健蔵。

[5] 日本の文学者のインドとの出会いを示すよく知られた本に、堀田善衛『インドで考えたこと』[岩波新書](岩波書店、1957年)があります。堀田は1956年12月に開催された第1回アジア作家会議の事務のために長期間インドに滞在しました。のちこの会議はスリランカのコロンボに常設事務局をもち、堀田は日本の評議会の事務局長を務めます。

2022年1月31日月曜日

「ヒンドゥーの神々の物語」展によせて  忘却のレッスン~『マハーバーラタ』の深みにハマる(下)

[上]はこちら)

 3 『シャクンタラー姫』の「忘れたふり」?

『マハーバーラタ』の本筋の主人公たちの祖先にあたるクル家の王の物語として名高いのがカーリダーサ作『シャクンタラー姫』です。私が読んだのは岩波文庫の辻直四郎による擬古文を多用した訳なので読みづらく、解説書や別バージョンから下記のストーリーを再構成しています。

「ヒンドゥーの神々の物語」展には、シャクンタラーの物語を描いたラージャー・ラヴィ・ヴァルマー作品2点が出品されています。《シャクンタラーの誕生》は、インドラ神の策略でアプサラス(天界の踊り子)メネカーがわざとらしく裸を見せて聖仙(苦行者)ビシュバミトラを誘惑し女子を生みます。その赤ん坊(シャクンタラー)をビシュバミトラに見せようとしますが、彼が自分の子と認知しないで見ようともしない場面。ヴァルマー・プリントのなかでもよく知られたもので[1]、展示中のマッチラベルにもなってます。

ラージャー・ラヴィ・ヴァルマー《シャクンタラーの誕生》 

20世紀前半 福岡アジア美術館蔵

ヴァルマーはインドで初めてヨーロッパ様式の油彩画を本格的に制作した巨匠とされていますが、複数の職人が製版・印刷するプリントはもちろん、油彩画を見てもヨーロッパのアカデミズム絵画の基準からしたら下手くそです。この作品でも、遠近感や人体が不自然。でもそれよりさらに不自然なのがビシュバミトラの左手を高く上げて顔を覆うポーズで、当時の演劇でのジェスチャーからきているとか。なお男性が自分の子供を認知しない場面は、以下に述べるように、成長したシャクンタラー自身が経験することになるので、よほどインドではこういう話が多かったのでは……。

もう一点は《恋文をしたためるシャクンタラー》で、後世の『マハーバーラタ』一族の祖先であるドフシャンタ王にひとめぼれしたシャクンタラーが、二人の友人のすすめで蓮の葉にラブレターを書いているところ。中央上部の鹿も物語に出てきますが、森のなかに横たわる人物、全体の三角形構図とその頂点が奥まっているのに手前に見えるところから、エドゥアール・マネの《草上の昼食》を思い出すのは私だけでしょうか……

ラージャー・ラヴィ・ヴァルマー《恋文をしたためるシャクンタラー》

1930年代 福岡アジア美術館蔵(黒田豊コレクション)

ではこのシャクンタラーの恋がどうなったかというと、すっとばしていえば、彼女とドフシャンタ王は結ばれ男児が生まれますが、シャクンタラーが6歳になった息子を王に見せに行くと、「こんな女知らん!」「6歳でこんなにでかいガキはおかしい!」(笑)と激しく拒絶するのです! ただこれは王様の健忘症とか、美人ぞろいの妃が何人もいるせいではあまりにあんまりな(凡庸な)話になってしまいます。そこでまたも「呪い」が物語を動かします。ドフシャンタ王と結ばれてボ~ッとしていたシャクンタラーは、訪ねてきたドゥルヴァーサス仙人にちゃんと応対しなかったので、怒りっぽすぎる仙人がボ~ッと生きてるんじゃねえよ!」と言って(うそ)呪いをかけて、王様が二人の出会いの証拠である指輪を見るまでシャクンタラーのことを忘れさせてしまうのです。しかもさらに間抜けなことに、シャクンタラーはうっかり指輪をなくしてしまったので(これは呪いのせいではなさそう…)、王様の記憶をとりもどせなかったのです。

これが王様の不自然な拒絶を説明するカーリダーサ作品の設定ですが、元の『マハーバーラタ』ではそんな凝った(とってつけたような)設定はありません。実は王様はシャクンタラーを忘れていなかったのに、年長者の承認も儀式もない「ガンダルヴァ方式」で結婚したことを恥じて知らんぷりをして、天の声から結婚を証明されて初めてシャクンタラーと認めたとか……ギリシャ古代劇でもおなじみの「デウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)」による安易な決着を避けるためにカーリダーサ版には指輪+仙人の呪いという仕掛けが加わったわけです。それでももともとの無理な設定が残っているようで、カーリダーサ作品でも、シャクンタラーを拒絶したのが呪いのせいだと周囲の人も納得したときに、ドフシャンタ王は「(安堵して、独語)余は非難からまぬかれた。」(辻直四郎訳)とありますから、「やっぱり、本当に忘れてただけじゃないと~?」(なぜか博多弁で)ツッこんでしまいますよね。理由はどうであれ、シャクンタラーにとってはひどい話です。まあ結果的にはめでたしめでたしなんだけど……だけどそれいいのか?と思うのは、次のような話が『マハーバーラタ』にあるからです。


4 行為の結果を考えない……でいいの?

 『マハーバーラタ』に含まれる「バガヴァッド・ギータ―」はヒンドゥー教の最高の聖典とされ、世界中で読まれています。

作者不詳《バガヴァッド・ギーターの教え》 
20世紀前半 福岡アジア美術館蔵

これは親族や師匠を相手に戦うことをためらうアルジュナに、戦いへの決意を与えるために、アルジュナの御者を務めるクリシュナが諭したもので、そこで最も有名なのは下記の部分です。 

あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してはならぬ。(上村勝彦訳)

 私も最初これを読んだときに衝撃を受けました。苦しい状況で自分の仕事の意義や成果に疑問があっても、その時点で自分ができることをしっかり遂行せよという教えはカッコよすぎます(いまどきの「成果主義」とかには真っ向から対立しますよね)。しかしよく考えれば……これは「つべこべ考えずに戦え、敵を殺せ!」と言ってるのと同じことでは? 強制や洗脳による「お国のため」の戦争を肯定しているのでは? さらに、前述の「もの忘れ」キャラにあてはめると、「欲望にかられた『行為』で女性を妊娠させておきながら『結果』に責任をとらないとはなんと非道な!」と思いませんか?

現代人が「バガヴァッド・ギータ―」を読んで抵抗があるのは、くどいほど繰り返されるブラフマー神への祭祀の義務なぞ現代の日本人には無縁なことだからですし、四姓制度(いわゆるカースト制)の絶対視は人権の観点から許容できないからです。そもそもアルジュナが戦いの義務を課せられるのは、彼がクシャトリヤ(武人)階級に属しているからともいえます[2]。しかし世界の「古典」とされる文献にはそのような歴史的制約は避けられないでしょうし、なぜ「古典」が現代にも異文化にも継承されてきたか、なぜ「バガヴァッド・ギータ―」が世界中で翻訳され読まれ研究され、知識人にも政治家にも影響を与えてきたのか考える必要があります。何しろ哲学者シモーヌ・ヴェイユやガンディーにも感銘を与え、ガンディーの非暴力による反英独立運動(サッティヤーグラハ)にも影響したのですから[3]。次のヴェイユの言葉は、上に引用したクリシュナの言葉を現代人に通じるように言い換えたものかもしれません。「自分がかかわっている社会的な諸関係の枠組内において、もろもろの人間的な義務を実践しなければならない。それから離れているようにという神の特別な命令がないかぎりのことであるが。」(冨原眞弓訳『カイエ』4、赤松明彦からの孫引き、p.190[4]

 ちょっと(私自身にも)ハードな話になりすぎましたので、本エッセイの趣旨にもどります――短縮版でも部分訳でも映像でもいいので、『マハーバーラタ』にふれてみましょう! 凄絶な誓いを実行する人間の意志の偉大さに感嘆するもよし、戦いの駆け引きに手に汗をにぎるもよし、ささやかな失敗がとんでもない結果を生むことを反省するもよし、運命の過酷さに戦慄するもよし、魅力的すぎる女性の姿を想像してドキドキするもよし、絶対に実行できそうもない神々の教えに平伏するもよし――広大無辺な歴史と精神が繰り広げるインド世界に潜入せよ!!

 黒田雷児(学術交流専門員)


参考文献*以外はアジ美所蔵)

カーリダーサ「シャクンタラー」(田中於菟弥訳)、『筑摩世界文学大系9 インド・アラビア・ペルシア集』(筑摩書房、1974年)

*カーリダーサ(辻直四郎訳)『シャクンタラー姫』[岩波文庫](岩波書店、1977年)

.ラージャーゴーパーラーチャリ(奈良毅、田中嫺玉訳)『インド古典物語 マハーバーラタ 上・中・下』[レグルス文庫](第三文明社、1983年) のち第三文明選書として新装版で復刊(2017)*

『マハバーラト 第1~4巻』(池田運訳)(講談社出版サービスセンター、20072009年)

マーガレット・シンプソン(菜畑めぶき訳)『マハーバーラタ戦記 賢者は呪い、神の子は戦う』(PHP研究所、2002年)

*デーヴァダッタ・パトナーヤク(沖田瑞穂訳)『インド神話物語 マハーバーラタ 上・下』(原書房、2019)

前川輝光『マハーバーラタの世界』(めこん、2006年)

山際素男『踊るマハーバーラタ 愚かで愛しい物語』[光文社新書](光文社、2006年)

上村勝彦『バガヴァッド・ギータ―の世界 ヒンドゥー教の救済』[NHKライブラリー](日本放送出版協会、1998年)

*赤松明彦『「バガヴァッド・ギーター」 神に人の苦悩は理解できるのか? 』[書物誕生あたらしい古典入門](岩波書店、2008年)

Garry O’Connor, The Mahabharata: Peter Brook’s Epic in the Making, photography by Gilles Abegg, Channel Four Book (London: Hodder & Stoughton, 1989).

*赤瀬川原平『老人力』(筑摩書房、1998年)

 


[1] 謹厳な修行者が美女に誘惑される話はエロを倫理で包装できるから世界中にあるのかも……日本では歌舞伎十八番の『鳴神(なるかみ)』とか。

[2] 赤松明彦『「バガヴァッド・ギーター」 神に人の苦悩は理解できるのか』[書物誕生あたらしい古典入門](岩波書店、2008年)、p. 7

[3] 同上 p.153-190に詳しい。

[4] いったん書き終わったあとに見つけたヴェイユのことば。「はたす行為のいっさいが、めざす目的と目的達成にみあう手段の連鎖とにかかわる先行判断から生じるとき、その行為者は完全に自由だろう。行為じたいの難易のほどは重要ではない。成功で飾られるか否かさえ重要ではない。苦痛と失敗は行為者を不幸にすることはできても、行為の機能をみずから掌握している行為者をはずかしめることはできない。」(シモーヌ・ヴェイユ『自由と社会的抑圧』、冨原眞弓訳、岩波文庫、2005年、p.84) クリシュナがこのように合理的に説明してくれれば、アルジュナも納得してさっさと戦闘に参加したのでは……)。