2019年10月31日木曜日

呉天章はなぜ『快楽的出帆』を使ったのか


1 産業構造の変化のなかで移動する少女たち
前のブログ記事(10月28で書いたように、『快楽的出帆』は近年まで多くの女性歌手にカバーされカラオケにもなっていますが、それは1958年・台湾という時代・地域を思い出させる曲でもあります。この時代には、台湾社会は農業社会から工業社会へという大きな変化を迎えており、農村の女性が都会へと工場などの仕事を求めて移動していきました(そういう画題は1980年代韓国の「民衆美術」にもしばしば登場します)。曾根史郎の歌った吉川静夫による歌詞は、男性が友人や妹と別れて海の向こうのどこかに働きに行く歌詞でしたが、蜚声による翻案歌詞では、若い女性が父母と離れてどこかに希望をもって旅立つ内容になっています。このような時代を代表する女性像が歌われているから呉天章はの歌を使ったといえます

2 白色テロ時代の慰安としての日本演歌
1950年代以後の台湾国民党政府は大陸への「反攻」を希求し、冷戦構造ではアメリカ陣営の一翼を担いながら、一種の鎖国状態にありました。『快楽的出帆』の11年前である1947年に起こった228事件」(「闇に刻む光」で展示された黄栄燦作品を参照)は、国民党政府による「白色恐怖(テロ)」の時代につながり、共産主義者またはその疑いがもたれる者への弾圧だけでなく、文化においても、社会の暗黒面・陰惨さを示す表現、性的表現などもきびしく規制されました。
そのような文化的鎖国と国内政治・文化の過酷な統制のなかで、台湾民衆に楽しみや慰安を提供したのは日本の歌謡曲、特に演歌でした。195070年代には日本演歌が人気を博し、特に船員や、1で述べた地方から都会の工場に働きに来た女性の心情を歌った曲が好まれました。当時の工員は工場でラジオの歌謡曲を聞きながら働いていたのです。
ちなみに作者の呉天章は1956年生まれなので『快楽的出帆』発売のときはまだ二歳でした。にもかかわらず彼はこの歌の記憶を鮮明にもっているそうです。この歌がスタンダード曲として長く愛されてきたからかもしれませんが、作者がまさに「出帆」する場所、港町である基隆の生まれであったからでもありました。

3 写真館の夢と幻滅
日本を含むアジア各地では卒業式や結婚式などの人生の節目で着飾って既存の風景画の前で記念写真を撮る習慣がありました。第2回福岡トリエンナーレ(2002年)で展示されたインドのサティッシュ・シャルマの観衆参加作品、サンシャワー展2017年)での写真館での記念写真を集積したマレーシアのイー・イラン作品を思い出してもいいでしょう。しかし写真館に用意された背景画は、普通の人々が行ってみたい美しい自然や豪華なホテルなどであり、しばしば写された人々のあまりに普通の恰好や現実生活とのギャップを露呈してしまいます。特に呉天章は、元にした写真よりも少女をよりリアルな外見に変えることで、現実と夢の落差を強調しています。
作者によれば題名の「春」は性を連想させ、「春宵」は新婚初夜を示します。少女の性を強調する胸に手をあてるポーズは、前述のような厳しい文化統制のなかでは公然と表現されるものではなく(作者は当時の保守的なサロン写真への揶揄もこめているそうです)、抑圧された性的欲求を垣間見せたものといえます。しかしそれは欲望の解放を讃えるものではありません。全然似合ってない安っぽい装飾のサングラス、額縁のチープな装飾を強調する照明、そして性的なジェスチャーは、華やか・晴れやかで希望に満ちた曲があらわす、新時代を積極的に生きようとする健康的な女性イメージの虚構性を暴き出してしまいます。「船出」の少女らしい純朴な希望を裏切って、都会では過酷な労働やあやしげな商売などの運命が女性を待ち受けているのでしょうか。
そのような暗示は、4点のシリーズである《春宵夢》の他作品との比較からわかります。シリーズIIII120x80cmの比較的小品であり、どちらもサングラスでなく蝶型の仮面で目を隠した派手な柄の旗袍(チーパオ)を着た女性の座像です。それに対し、装飾つきサングラスをかけて胸に手をあてたポーズ、幼さを残す少女と地味な服装の全身像、大きなサイズと変化する照明でアジ美所蔵のⅣに近いのは《春宵夢II》(台中の国立台湾美術館所蔵)です。この4点を総覧すれば、IIとⅣの純朴そうな少女が、妖艶さとけばけばしさで男性を引き付けるIIIIの女性像に変化する可能性をはらんでいることが推測されるのです。

4 「南の島」「南洋」はどこか?
女性歌手に歌われる『快楽的出帆』の主体を女性とすれば、彼女はどこに向けて船出するのでしょう? 日本の原曲歌詞は「常夏」「みどりの島々」「パパイヤ香る南の島」、台湾版で「迷人的南洋」「木瓜花香味」と、「南の島」が「南洋」になったものの、行先のイメージは共通しています。日本での「南洋」とは、東南アジアのほか、戦時中の委任統治領であり沖縄から多くの移民が渡ったミクロネシア(サイパン、パラオなど)を意味しますが、1958年の日本で「「パパイヤ香る南の島」がどこであったのかはわかりません。また《春宵夢》シリーズの4作のどれにも、そのような「南洋」を示す風景は描かれていません。たとえば《春宵夢I》の背景は明らかに台湾左営の春秋閣ですし、作者によれば、他に台中公園や日本の富士山も写真館で人気の背景だったそうです。つまり、『快楽的出帆』における「南洋」が日本語歌詞の置き換えにすぎず特定の場所を示すものでなかったとすれば、《春宵夢IV》においては、鎖国状態と政治的・文化的な暗黒期にあった現在地から脱出する「出発(出航、出帆)」自体が希求されたのであって、そこに隠蔽(抑圧?)されたのは、どこに行くのかわからない恐怖、行き場のない不安なのかもしれません
(ししお)


2019年10月28日月曜日

呉天章《春宵夢Ⅳ》の歌を調べてみた

1025日のFB投稿でお知らせした、ARTNEの記事に出てくる呉天章作品に使われた音楽について、ウィキペディアや中国語検索サイト「百度」検索などで調べてみました。
歌手名・タイトルから動画にリンクしてます。

原曲 曾根史郎(朗)『初めての出航』 富田一雄作曲 吉川静夫作詞 1958
なんと男性による歌唱でした。
曾根史郎=1930年生まれ。ポリドールからデビュー、のちビクターレコードに移籍。1956年、『若いお巡りさん』が歴史的な大ヒット。同年、同曲でNHK紅白歌合戦に初出場。紅白歌合戦には4回連続出場。『初めての出航』は1958年の第9回紅白歌合戦で歌われた。2008年、第50回日本レコード大賞で功労賞を受賞。(ウィキペディアより) 

作品に使われた陳芬蘭『快楽的出帆』(快樂的出帆/的出帆) 1958
台湾の陳坤岳(筆名・蜚声)が台湾語閩南語に訳すが、原曲歌詞の「かもめ」のみ「卡膜咩」と音訳する。姪の陳芬蘭(当時10歳)に歌わせて人気曲となる。台湾らしい海の題材と明るく活気のあるメロディーにより多くの女性歌手にも歌われた。
陳芬蘭(1948年生まれ 中国語、台湾語の歌の歌手。「台湾の美空ひばり」と言われる。8歳でデビュー、14歳で台湾人歌手として初めて日本の歌謡界に登場。《月亮代表我的心》のほか『快楽的出帆』でも知られる。

テレビ映像 テンポがはやい!

ハワイアン風?の変な編曲と時代を感じさせるカラオケ映像。かなりイマイチな俳優さんたちですが(笑)、歌っているのはなんとゴージャスにも鄧麗君=テレサ・テンです! さすが声が可憐で美しい! なのにこの映像!(笑)

ゴージャスさをかんちがいしてます!! 
原曲の雰囲気台無し(笑)!!!

ところで
「じゃあなぜ呉天章はこの曲を使ったんだ?」 
……えー、それはまたあとで。

(ししお)

2019年10月21日月曜日

追悼:ホアン・ヨンピン


中国美術、いやアジア美術の潜在力を世界に知らしめた功績は不滅です。
権威化された美術、植民地主義、商業主義など、あらゆるものへの批判精神を貫いた真に偉大なアーティストの冥福を祈ります。

らーさんのホアン作品との出会いは1991年のミュージアム・シティ・プロジェクトと三菱地所アルティアムによる「非常口 中国前衛美術家展」でした。そのときのホアン氏の若々しい姿は現在開催中の「アジア美術、100年の旅」で見せている蔡國強の記録映像のなかでちょっとだけ見ることができます。蔡氏の火薬ドローイングの制作を手伝っている小柄な眼鏡をかけた人が黄氏です。

そのあとらーさんは1993年の欧米のアジア作家調査の間にベルリン「世界文化の家」で開かれた中国現代美術展(リンクドイツ語のみ)で、新聞紙をぐちゃぐちゃにしたものを天井の高い大きな空間の柱にはりつけた黄氏の作品を見て、再び衝撃を受けました。
「世界文化の家」(ベルリン)での展示(1993年) 撮影:らーさん

「非常口」の屋内・野外作品と同様、あらゆる固定観念・概念を無化してしまい、かつ空間への攻撃力をもつ作品は素材のインパクトとともに様々な思考を誘発します。
生きたサソリや蛇を使った作品や、中国・フランス・アメリカの国際関係に介入したような彼の作品はしばしば物議をかもしました。そこにあるのは、いかに高度な文明と技術を誇ってもしょせん弱肉強食や盛者必衰という自然界のサイクルから逃れられない人間の運命への洞察でした。しかも、激辛の批評性の裏に、想像力をはばたかせる遊戯性を失うことなく。

ホアンの作品は空間的インパクトと暴力性をはらみつつも、彼を世界の舞台に押し上げたのその底にある透徹した思考と妥協なき批評性なのです。若手作家の挑戦もあっという間にビジネスにとりこんでしまうことで作家を骨抜きにする美術市場、集客用スペクタクル志向に慣れっこになったお祭り的な芸術祭がはびこる現在、ホアン・ヨンピンはそれらを巧みに利用しながらも、その生の最後まで孤高のアーティストであり続けたことに改めて驚きと敬意を感じずにはおられません。(ししお)

2014年9月5日、第4回福岡トリエンナーレ(FT4)でトーク中のホアン・ヨンピン
Huang Yong Ping talking at the 4th Fukuoka Asian Art Triennale, 5 September 2009

FT4のホアン・ヨンピン作品「ニシキヘビの尾」(2000年)展示風景
Huang's work at 4th Fukuoka Asian Art Triennale, 2009
Python's Tail, 2000, collection of Guy and Myriam Ullens Foundation, Switzerland

2019年9月27日金曜日

「博多旧市街まるごとミュージアム2019」開催します!

博多旧市街まるごとミュージアム2019

期間:2019年10月11日 (金) 〜 2019年10月14日 (月)
会場:承天寺、東長寺、龍宮寺、妙楽寺、善道寺

■ 博多旧市街まるごとミュージアムとは?
歴史を感じる舞台でアート作品を展示する屋外型アートイベン卜「まるごとミュージアム」。
昨年に引き続き、博多旧市街エリアを舞台に、国内外の7アーティストによる多彩な作品を展開します。
今回は 「博多旧市街ライトアップウォーク」とのコラボを拡大。ライトで彩られた歴史あるお寺に、屋外ならではの巨大な作品や、作家が福岡に滞在し制作した作品が登場します。
「古い」と「新しい」が混在した秋の博多をお楽しみください!

■ 博多旧市街プロジェクト 概要
日本中世最大の貿易港湾都市・博多の中心として栄えた「博多旧市街(オールドタウン)」には、中世に由来する歴史・伝統・文化が数多く伝わっています。歴史ある寺社が連なる静寂なまちなみや、活気あふれる商店街の散策、博多の伝統工芸や伝統芸能とのふれあい、祭り好きで知られる博多っ子の暮らしや文化を感じられる体験など、福岡の旅がより一層深まるエリアです。


■ 各会場の出品作家と観覧可能時間
 ◇承天寺(仏殿)(博多区博多駅前1-29-9)
   18:00~21:00 島田正道 

 ◇東長寺(博多区御供所町2-4)
   10:00~21:00 ハン・ソンピル
   10月11日(金)18:00頃 んまつーポス

 ◇龍宮寺(博多区冷泉町4-21 )
   10:00~21:00 キャンディー・バード
   18:00~21:00 チェオン・キー・チェン

 ◇妙楽寺(博多区御供所町13-6)
   10:00~21:00 レ・ヒエン・ミン

 ◇善導寺(博多区中呉服町6-24)
   10:00~21:00 久保寛子
 
 **昼間は観覧無料。18:00以降は一部展示会場をのぞき、ライトアップウォークチケットが必要です。**

■ 作家紹介


① 島田正道 Shimada Masamichi
1978年生まれ、高知県佐川町在住のライトアーティスト。地域を調査し、その場所独自の物語をコンセプトに、木や金属、紙など様々な素材と光を織り交ぜたライトインスタレーションを制作する。国内外のライトフェスティバル、アートフェスティバルに参加。

 
②ハン・ソンピル Han Sungpil
1972年生まれ、ソウル在住のアーティスト。福岡アジア美術館のレジデンス作家として、今年5-7月に福岡に滞在。現実と仮想、オリジナルと複製、歴史と痕跡などをテーマとした写真や、建物に写真バナーを設置する大型インスタレーションなど都市空間の見え方を一変させるようなダイナミックな作品を発表。北極・南極を含め世界各地で撮影を重ねる。

 
③ キャンディー・バード Candy Bird
1982年生まれ、台北在住のアーティスト。街の中の壁面に、社会や歴史に取材した人々の姿を描きだす。福岡アジア美術館のレジデンス作家として、2019年2~3月に滞在。本展では「アザーズ」を発表する。
 
 
④ チェオン・キー・チェン Cheong Kiet Cheng
1981年マレーシア、クアラルンプール生まれ、在住のアーティスト。福岡アジア美術館のレジデンス作家として、今年5月に福岡に滞在。神話や自然と人との共生をテーマに、幻想的な絵画世界を展開する。近年は、神々や女性、木々や鳥などの自然を細かなタッチで描き出すペン画に取り組む。
 
 
⑤ レ・ヒエン・ミン Le Hien Minh
1979年ハノイ生まれ、ホーチミン在住のアーティスト。福岡アジア美術館のレジデンス作家として、今年8-10月に福岡に滞在。女性の身体や社会における位置づけなどをテーマに、ベトナムの伝統的な手漉き紙「ゾー」を用いたインスタレーションや彫刻作品を制作。

 
⑥ 久保寛子 Kubo Hiroko
1987年生まれ、広島県在住のアーティスト。生活に身近な素材を用いて、農耕や偶像をテーマに、スケールの大きな立体作品を制作する。「六甲ミーツアート2017」公募大賞グランプリを受賞したほか、「瀬戸内国際芸術祭」(2016)、「スマートイルミネーション横浜」(2017)など屋外での展示が高く評価されている。
 
 
⑦ んまつーポス Namstrops
2006年、「んまつーポス」(Namstrops)結成。逆さにこだわったコンテンポラリーダンスカンパニー。「逆さから物事を考えることで新たな価値を創造する」実践的研究を展開。カンパニーの名前もスポーツマンの逆さ読み。メインメンバー3人による「現代芸術的体育」の独自な作品スタイルは、海外フェスティバルも注目。これまでにアジアはもとよりヨーロッパのエストニア等(12カ国35都市)で作品を上演。また国内では、全国の美術館に「体育」(からだを育む思想)を展示する実験的上演活動を展開。


関連イベント:アーティストトークツアー 
       10月12日(土)15:30~16:00 
       詳しくは→https://faam.city.fukuoka.lg.jp/event/9047/
 

2019年5月24日金曜日

ナリニ・マラニがミロ賞受賞!

アジ美所蔵作家、初代レジデンス作家、福岡アジア文化賞受賞者であるインドの美術作家ナリニ・マラニが、ジョアン・ミロ財団とla Caixaによるジョアン・ミロ賞を受賞しました。同賞ではアジア作家では初めて。

受賞理由をさっと訳しますと

(前略)審査員たちは、ジョアン・ミロのような、挑戦的な想像力と社会政治意識の価値の長年にわたる追求により、インド作家ナリニ・マラニを受賞にふさわしいと考えました。/長い活動歴を通じてマラニは、沈黙をしいられたり富を持たない人たち、特に世界中の女性たちの声を伝えてきました。ナリニは、東洋と西洋の無数の文化を参照しながら、複合的で空間全体を使ったインスタレーションで見る人を巻き込み、私たちが生きる苦難に満ちた世界の見方を提示する強力な作品群を制作しました。現代の象徴物や図像生成だけでなく、ギリシャからインドにおよぶ古代神話への深い知識によって、彼女ならではの、コスモポリタンな図像の融合を展開することによって、現代の暴力や不正とその世界的な影響を大胆に批判してきたのです。/それに加えて、ミロと同様に、マラニは異なるジャンルやメディアを探求し融合させてきました。特に演劇、インスタレーション、ドローイング(素描)、映像を融合させる手法は1960年代から続いています。(以下略)
(原文とナリニ作品紹介は上記リンクのミロ賞のプレスリリース参照)

おめでとうございます! (ししお)

2019年5月8日水曜日

「福岡ミュージアムウィーク2019」開催します!


☆福岡ミュージアムウィーク2019☆

今年は18施設が参加!
福岡のミュージアムをお得に楽しむ9日間!
ミュージアムには、「学び」、「発見」、「出会い」があふれています!


福岡市では、博物館・美術館の役割を広く周知するために制定された「国際博物館の日」(5月18日)を含む週に、前後の土日を加えた期間を「福岡ミュージアムウィーク」としています。期間中は市内の参加施設において、常設展示観覧料・入館(園)料が無料または割引となります。
また、各参加施設が工夫をこらし、トークショーやワークショップ、スタンプラリーを始めとした、さまざまなイベントを開催します。
ぜひこの機会に市内の多くのミュージアムに足をお運びいただき、「出会いの場」「知識の場」「発見の場」である博物館・美術館の魅力を思う存分お楽しみください!


◎期間:5月18日(土)~26日(日)

◎今年の連携館:福岡市博物館、福岡市美術館、福岡アジア美術館、福岡県立美術館、福岡市埋蔵文化財センター、「博多町家」ふるさと館、はかた伝統工芸館、九州大学総合研究博物館、九州産業大学美術館、西南学院大学博物館、三菱地所アルティアム、能古博物館、福岡市動植物園、福岡市文学館、ハクハク、味楽窯美術館、福岡女子大学美術館、福岡市科学館

※福岡ミュージアムウィークおよび各館イベントの詳細、申込みにつきましては、下記のサイトをご覧ください。


福岡ミュージアムウィーク2019公式サイト
(福岡ミュージアムポータルサイト)


◆福岡アジア美術館で開催するイベント◆

【蔵前仁一トークショー】
旅行雑誌「旅行人」の元編集長である蔵前仁一さんに、アジアの旅やインド先住民族が描く壁画について、お話いただきます。
 ■ 講師:蔵前仁一(旅行作家、グラフィックデザイナー)
 ■ 日時:5月18日(土) 14:00~16:00
 ■ 場所:アートカフェ(7F)
 ■ 定員:80名
 ■ 申込:事前申込(先着順) 
福岡ミュージアムウィーク2019公式サイトまたは往復はがきに郵便番号、住所、氏名、年齢、電話番号を記入の上、当館までお申込ください。(連名不可)または往復はがきに郵便番号、住所、氏名、年齢、電話番号を記入の上、当館までお申込ください。(連名不可)

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【滞在作家によるトーク】
滞在中のアーティストが、これまでの活動や福岡滞在中のプランを語ります。

 ■ 講師:ハン・ソンピル(韓国)、チェオン・キー・チェン(マレーシア)
 ■ 日時:5月25日(土)14:00 ~16:00
 ■ 場所:アートカフェ(7F)
 ■ 定員:80名
 ■ 申込:不要

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【ギャラリーツアー】
ボランティアが作品の解説・案内をおこないます。

 ■ 日時:5月20日(月)、21日(火)、23日(木)、24日(金)
      14:00~14:40
 ■ 集合場所:アジアギャラリー前(7F)
 ■ 定員:各回20名
 ■ 申込:当日先着順

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【バックヤードツアー】
学芸員が、普段は見ることができない福岡アジア美術館の裏側をご案内します。

 ■ 日時:5月19日(日)、26日(日)13:00~14:00
 ■ 集合場所:総合受付前(7F)
 ■ 定員:各回20名
 ■ 申込:当日先着順(受付開始12:00~)


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【アジアの絵本と紙芝居の読み聞かせ】
3~7歳程度の子どもを対象にした、ボランティアによるアジアの絵本と紙芝居の読み聞かせです。

 ■ 日時:5月18日(土)、19日(日)、25日(土)、26日(日)
      ①11:30~12:00 ②13:00~13:30
 ■ 会場:キッズコーナー(7F)
 ■ 定員:なし
 ■ 申込:不要


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◎期間中はコレクション展が観覧料無料でご覧になれます。また、ミュージアムをめぐり、ステキな商品が当たるスタンプラリーを実施しています。ぜひご参加ください。

2019年3月26日火曜日

緊急告知!リナさんと話そう!カンボジア料理のつどい


リナさんと話そう!カンボジア料理のつどい
現在、福岡アジア美術館に滞在中のカンボジア出身のアーティスト、リム・ソクチャンリナ(通称リナ)さんが、作品制作のためのリサーチの一環として、カンボジア料理を食べながらのお話し会を開催します。
リナさんがこれまで制作してきた作品のお話や、福岡市内でカンボジア料理店を経営する池田スロスさんのお料理のお話など、スロスさんのお料理を食べながら、カンボジアについて語りあいませんか。


日  時:3月31日(日)12:00~14:00
場  所:福岡アジア美術館 7階 アートカフェ
参 加 費:1,000円 
       *カンボジア料理のランチセットを提供します。
定  員:15名(要申込、先着順)
申込方法:お名前、ご連絡先を明記の上、Email(faam@faam.ajibi.jp)
       かFAX(092-263-1105)でお申込みください。
       *定員に達しなかった場合、また当日キャンセルがでた
         場合は、当日の申し込みも受け付けます。


講師紹介:
◎リム・ソクチャンリナ/Lim Sochanlina
1987年プノンペン生まれ、在住。2017 年の「サンシャワー」展では、国道沿いの真っ二つにされた民家の写真で注目されたカンボジアの社会派アーティスト。福岡では新たな作品制作のために、福岡で働くカンボジア人労働者を取材する。[滞在期間:3/1~4/1]

◎池田スロス
1980年カンボジア・シェムリアップ生まれ、福岡市在住。2003年に来日し、2010年より福岡でカンボジア料理店「シェムリアップ」をはじめる。現在、博多区吉塚の元銭湯の場所で営業中。日本カンボジア連合協会代表。


問い合わせ:
福岡アジア美術館 交流係(山木、蒲池)
福岡市博多区下川端町3-1リバレインセンタービル7・8階
TEL:092-263-103 FAX:092-263-1105
E-mail:faam@faam.ajibi.jp

http://faam.city.fukuoka.lg.jp/event/detail/760

 
 

2019年3月19日火曜日

リー・ウェンよ永遠に 個人的な、しかしたぶん他の誰かにも共有される思い出(4・最終回)


 アジ美での直近かつ最後のリー・ウェンの発表は、2017年アジ美で開かれた「サンシャワー 東南アジア現代美術展1980年代現在」(アジ美)です。同展に立体と写真作品を出品した彼は、1980年代以後の東南アジア美術の新時代を築いた作家のひとりであり、第4回アジア美術展やそれ以後の福岡の作家との交流からも、ぜひリー・ウェンを招きたいということになり、開会式、ギャラリートーク(ほかシンポジウムでも発言)に参加してもらいました。
 2017112日 サンシャワー展開会式(アジ美)
2017113日 サンシャワー展ギャラリートーク(アジ美)

トーク自体もパフォーマンス的でしたが、それに続いてパフォーマンスをすることは告知されていませんでした。しかし空間、タイミングを絶妙に利用し、観衆、個人的・仕事上の関係者を巧みに巻き込んで、発言と行動の束縛からの脱出を求める見事なパフォーマンスでした。

2017113日 トークに続くパフォーマンス(アジ美)

 2017113日 シンポジウムで発言(アジ美)

 去る日曜(3/17)にはシンガポールでリー・ウェン追悼集会が開かれました。
リンクのビデオで1時間5分くらいから、日本の三者(アジ美、アーティストの武谷大介さん、日本国際パフォーマンスアートフェスティバル=NIPAFの霜田誠二さん)からのメッセージを、国立ギャラリーの堀川理沙さんが代読しているのを見ることがきます。霜田さんがよせたメッセージ(長い…)で、彼が1995年のNIPAFに招待する東南アジア作家をらーさん(当時福岡市美術館)に照会、らーさんはそのときに東京にいたタン・ダウを紹介、しかし霜田さんに会ったダウは、自分はもう日本に何回も来ているからということで若手作家として紹介されたのがリー・ウェンだったことがわかります(らーさんは覚えてませんでした)。ちなみにこのNIPAFでのリー・ウェンのパフォーマンス「ゴーストストーリー」はらーさんも見に行ってます。写真記録が手元になく確認できませんが、骸骨のような不気味なペイントをしたものだったと思います。いっしょに見ていた藤浩志さんが「リー・ウェン、なんかかわいかったですね」と言ったことだけ妙に覚えているそうです。

 霜田さんも上記メッセージでふれてますが、このブログでリー・ウェンをアジア美術の「英雄時代」を築いたひとりと書きました。この言葉が適切かどうかわかりませんが、1990年代前半は、80年代後半に中国や東南アジア各地で、「西洋の様式とアジアの題材・伝統」という折衷的モダニズムを乗り越える地殻変動が美術に起こり、シンガポールではタン・ダウ、リー・ウェン、アマンダ・ヘン、インドネシアでヘリ・ドノ、ダダン・クリスタント、タイでモンティエン・ブンマー、ナウィン・ラワンチャイクン、チャーチャーイ・プイピア、マレーシアでタン・チンクアン、ウォン・ホイチョンが国際交流基金(美術前線北上中 東南アジアのニューアート、1992年)や福岡市美術館(第4回アジア美術展、1994年)などで紹介されていった時代です。(ちなみにこのふたつの展覧会の間には、ミュージアム・シティ・プロジェクトと三菱地所アルティアムによる「非常口 中国前衛美術家展」という、アジア現代美術の概念を決定的に変えてしまった驚異的な展覧会が福岡で開かれています。)これらの新傾向は、大掛かりなインスタレーション(およびパフォーマンス)+政治社会的テーマ+民族的伝統の結合による、今の目で見ればかなり粗削りであったものの、国際展への機会もマーケットも行政機関や企業からのコミッションもない時代(自由な表現が許されないところを含む)に、「受け手/観客」が未成熟な時代に、とにかくやりたいことにチャレンジする内発的実験精神(らーさんがよく使う谷川雁のいう「初発のエネルギィ」)を爆発させていき、それが各作家個人のみならずアジア美術の国際的な認知につながったことにおいて「英雄的」であったのです。
 この時代に国際舞台に乗り出した作家たちのなかには、絶えず作品を進化・発展・成熟させていった作家たちだけでなく、今や制作をやめてしまったり、美術市場向けのブランド作品を繰り返したり、国際展や行政機関や美術館からの期待を満たすだけの作品を作っている作家もいるでしょう。しかし、先にふれたように、リー・ウェンは国内外から高い評価を受けるようになっても、造形作家(身体や空間利用を含む)としての作り込み、言葉による思考、人間の自由を束縛する制度への問いかけ、国内の若手支援や国際的なネットワークやアーカイブによる共有・連帯や歴史的継承の使命を最後まで貫いた作家だと思います。思想と行動の両面での一貫性と、このような使命感ゆえにこそ、リー・ウェンは「あの(英雄)時代」だけでなく、今日、そして未来にも、もはや「英雄」としてでなく、ひとりのアーティストとして生き続けることでしょう。
 と、らーさんが言ってます。(ししお)

2019年3月14日木曜日

リー・ウェンよ永遠に   個人的な、しかしたぶん他の誰かにも共有される思い出(3)


1995年の後もリー・ウェンと藤浩志の日本での交流は続き、高松の画廊でいっしょに発表した展覧会?に私も行ったのですが、彼らの作品の記憶はなく、その記録は手元にありません。
またニロファール・アクムットとの出会いから、1996年に彼女がパキスタンのラホール美術大学で開いたワークショップにも、リーと藤は参加しています。この写真は、このワークショップに参加したドイツのアーティスト、Renate Kochさんが撮影したものです。
photo courtesy: Renate Koch, Karlsruhe, Germany

オブジェを入れた籠と紙を手に持って、何かの文章を読んでいたようです。彼に従う男性は口をテープでふさがれています。言論の自由に関するパフォーマンスでしょうか。

 1999年9月には、第3回アジア太平洋トリエンナーレ(ブリスベーン)のレセプション会場?で、全身を真っ黒に塗って横たわっています。まるで死体のようで正視できなかった記憶があります。アジアのアートがオーストラリアで「国際的」に紹介(消費?)されることへの違和感を表明したのでしょうか? 

 翌2000年3月、アジ美は開館一周年記念イベント、アジア楽市楽座に、他のシンガポール作家とともにリー・ウェンを招待しました。 

リーのパフォーマンスのひとつは、川端商店街の路上で大きな紙を広げ、「アートに何ができますか What can art do」という問いに観客・通行人に答えを書かせるものです(この紙は今どうなったんだろう…)。
また観客・通行人にチューインガムを噛んでもらい(シンガポールでのチューインガム禁止への批判か)、それを集めて、アジ美一歳のバースデーを祝うケーキ(?)を作り、3本のローソクを立てて吹き消しています。 (つづく)

2019年3月11日月曜日

リー・ウェンよ永遠に 個人的な、しかしたぶん他の誰かにも共有される思い出(2)


間があいてしまいそうこうしているうちにまた追悼文がネットに出ました。

今や「レガシー」として記憶される1994年・福岡のことはすでにこのブログ(「あのときのリー・ウェンから思うこと(また改訂)」、2017年11月14)で書き、また平成の福岡美術を回顧する新聞記事(ARTNEにも掲載)でもふれられているので繰り返しません。


4回アジア美術展で5日にわたって続けられた「イエローマンの旅 自由への指標」をずっと見ていたわけではありませんが、黙々と床にお米で地図や文字や記号を描き続けることで世界の富や食料の不均衡な分配について沈思し(このテーマは当時の藤浩志にも見られるもので、第4回アジア美術展で出会ったふたりが意気投合したのもそのためでしょう)、都市空間のなかでの「異物」としての自分をさらけ出しつつ、籠に入った羽のオブジェで、「自由」のわずかな可能性を探求。5日目には空っぽの茶碗からご飯を食べる仕草と声にならない苦しみの表現に涙を流す人もいました。リー・ウェンによるおそらくすべてのパフォーマンスにいえることですが、場とタイミングを巧妙に利用しつつもその表現が強烈な印象を与えるのは、時空間への才気ある介入方法と、自虐的ユーモアをはらみながらも身を危険にさらす真剣さ、そして孤独や痛ましさを乗り越える希望を捨てない強靭な意志よるのです。ちなみにリー・ウェンの父親は文筆家で詩人。このときの作品にも、リーによる長い文章がつけられていますし、前述の論文ほか多くの文章を残しています(作家およびAAAのサイトでリンク)。ときにはグロテスクなまでに物質性を露出するパフォーマンスを支えているのは言語に鍛えられた彼の思考なのです。
1995年のこの写真は、第4回アジア美術展が世田谷美術館に巡回したとき。写真右はパキスタン出身のニロファール・アクムット、左は今やアジア現代美術の大スターとなった説明無用のナウィン・ラワンチャイクン(24歳! 当時の表記は「ナヴィン・ラワンチャイクル」)といっしょにファミレスで食事をしたときのリー・ウェン。シャッターを押したのが藤浩志だったことが別ショットでわかります。藤さんの車で移動していたのですがもし事故っていたらアジア美術史の巨大な損失だったでしょう。(つづく)

2019年3月6日水曜日

リー・ウェンよ永遠に  個人的な、しかしたぶん他の誰かにも共有される思い出(1)


2000年3月、アジ美とその周辺で開かれたアジア楽市楽座でのリー・ウェン(筆者撮影)


33日、リー・ウェンが、シンガポールの病院で家族や美術仲間に看取られながら亡くなりました。
リー・ウェンは、1988年にタン・ダウが創始したアーティスト・ヴィレッジに参加、日本を含む世界各地でパフォーマンスにより注目を集め、2005年にはシンガポール政府から文化勲章を受章、2012年にはシンガポール美術館で回顧展が開かれるなど、アーティストとしては国内外から非常に高い評価を受けた作家です。
リー・ウェンの活動については既に多くのことが語られ論じられてきましたが、クイーンズランド美術館ブログにはインタビュー映像もあり簡単に彼の芸術活動の概略を知ることができます。
出世作といえる「イエローマン」にとどまらない多彩な表現、2003年からの「想像力の未来Future of Imagination」というフェスティバルの企画、後進の育成、パフォーマンス研究(2006年に「PerformanceArt in Context: A Singaporean Perspective」という論文をLaSalle-SIA美術学校に提出しています)、Independent Archiveの開設などは、作家ウェブサイトで見ることができますが、その全体像を紹介するのは容易なことではありません(英語だし)。
なので(久々のブログなんですが)、アジ美に残る写真をひっぱりだし、私の個人的な思いを書かせていただくことで、パーキンソン氏病を患いながらも最後まで自分の表現と芸術の発展のために人生を捧げたこの「偉大な」アーティスト――私はあえて「アジア美術の英雄時代」を築いたひとりと言いたい――へのオマージュと追悼とさせていただきます。(つづく)
と、黒田部長が言ってます。(ししお)

2019年2月28日木曜日

キャンディー・バード(台湾)の壁画プロジェクト、コラボレーター募集!

 
現在、福岡アジア美術館に滞在中のアーティスト、キャンディー・バードが、東アジア、文学、壁画、ストリートアートにフォーカスし、展開しているアートプロジェクト「アザーズ/The Others」のコラボレーター(ライター)を募集します。
あなたの物語を壁画にしませんか?

 
□「アザーズ/The Others」プロジェクトとはhttps://aprilcccc.wixsite.com/theothers キャンディー・バードが、20174月よりはじめたアートプロジェクト。別の土地から移住してきた人、自分の場所になじめず疎外感を感じる人など、その土地で「他者」として生きる人々を取材し、その人が書いた物語をもとに壁画を制作します。最終的には12の短い物語とそれをあらわした壁画の制作を目指しています。
 福岡での完成作品の発表は、福岡アジア美術館近辺で、3月末か秋頃を予定しています。

□コラボレーターの条件
福岡にお住まいで、以下のことを3月中旬までにご協力いただける方2名程度)。
 ①自分にまつわる短い文章(小説、日記、詩など)の提出
  *日本語、英語、中国語のいずれか
  *フィクションは不可
 ②アーティスト、担当スタッフとの打ち合わせ(数回)
 ③文章の朗読(録音させていただきます)
  *打ち合わせには通訳スタッフが入ります。

□応募方法
上記①に該当する文章と連絡先を下記までメールでお送りください。 
  E-mail: faam@faam.ajibi.jp
  *過去に執筆した文章でも、新たに執筆した文章でも構いません。
  *自身のブログやウェブサイト等に文章を掲載している場合は、
   そのアドレスをお知らせください。

□応募締切
  311日(月)       
  *候補者が見つかった場合は、募集を締め切ることがあります。
  *選考は、作家本人がおこないます。
 

◇アーティスト紹介◇

キャンディー・バード Candy Bird


1982年台北生まれ、在住。2006年華梵大学芸術学部卒業。

街の中の壁面に、社会や歴史に取材した人々の姿を描き出すアーティスト。[滞在期間:2/183/30]