スキップしてメイン コンテンツに移動

リー・ウェンよ永遠に 個人的な、しかしたぶん他の誰かにも共有される思い出(4・最終回)


 アジ美での直近かつ最後のリー・ウェンの発表は、2017年アジ美で開かれた「サンシャワー 東南アジア現代美術展1980年代現在」(アジ美)です。同展に立体と写真作品を出品した彼は、1980年代以後の東南アジア美術の新時代を築いた作家のひとりであり、第4回アジア美術展やそれ以後の福岡の作家との交流からも、ぜひリー・ウェンを招きたいということになり、開会式、ギャラリートーク(ほかシンポジウムでも発言)に参加してもらいました。
 2017112日 サンシャワー展開会式(アジ美)
2017113日 サンシャワー展ギャラリートーク(アジ美)

トーク自体もパフォーマンス的でしたが、それに続いてパフォーマンスをすることは告知されていませんでした。しかし空間、タイミングを絶妙に利用し、観衆、個人的・仕事上の関係者を巧みに巻き込んで、発言と行動の束縛からの脱出を求める見事なパフォーマンスでした。

2017113日 トークに続くパフォーマンス(アジ美)

 2017113日 シンポジウムで発言(アジ美)

 去る日曜(3/17)にはシンガポールでリー・ウェン追悼集会が開かれました。
リンクのビデオで1時間5分くらいから、日本の三者(アジ美、アーティストの武谷大介さん、日本国際パフォーマンスアートフェスティバル=NIPAFの霜田誠二さん)からのメッセージを、国立ギャラリーの堀川理沙さんが代読しているのを見ることがきます。霜田さんがよせたメッセージ(長い…)で、彼が1995年のNIPAFに招待する東南アジア作家をらーさん(当時福岡市美術館)に照会、らーさんはそのときに東京にいたタン・ダウを紹介、しかし霜田さんに会ったダウは、自分はもう日本に何回も来ているからということで若手作家として紹介されたのがリー・ウェンだったことがわかります(らーさんは覚えてませんでした)。ちなみにこのNIPAFでのリー・ウェンのパフォーマンス「ゴーストストーリー」はらーさんも見に行ってます。写真記録が手元になく確認できませんが、骸骨のような不気味なペイントをしたものだったと思います。いっしょに見ていた藤浩志さんが「リー・ウェン、なんかかわいかったですね」と言ったことだけ妙に覚えているそうです。

 霜田さんも上記メッセージでふれてますが、このブログでリー・ウェンをアジア美術の「英雄時代」を築いたひとりと書きました。この言葉が適切かどうかわかりませんが、1990年代前半は、80年代後半に中国や東南アジア各地で、「西洋の様式とアジアの題材・伝統」という折衷的モダニズムを乗り越える地殻変動が美術に起こり、シンガポールではタン・ダウ、リー・ウェン、アマンダ・ヘン、インドネシアでヘリ・ドノ、ダダン・クリスタント、タイでモンティエン・ブンマー、ナウィン・ラワンチャイクン、チャーチャーイ・プイピア、マレーシアでタン・チンクアン、ウォン・ホイチョンが国際交流基金(美術前線北上中 東南アジアのニューアート、1992年)や福岡市美術館(第4回アジア美術展、1994年)などで紹介されていった時代です。(ちなみにこのふたつの展覧会の間には、ミュージアム・シティ・プロジェクトと三菱地所アルティアムによる「非常口 中国前衛美術家展」という、アジア現代美術の概念を決定的に変えてしまった驚異的な展覧会が福岡で開かれています。)これらの新傾向は、大掛かりなインスタレーション(およびパフォーマンス)+政治社会的テーマ+民族的伝統の結合による、今の目で見ればかなり粗削りであったものの、国際展への機会もマーケットも行政機関や企業からのコミッションもない時代(自由な表現が許されないところを含む)に、「受け手/観客」が未成熟な時代に、とにかくやりたいことにチャレンジする内発的実験精神(らーさんがよく使う谷川雁のいう「初発のエネルギィ」)を爆発させていき、それが各作家個人のみならずアジア美術の国際的な認知につながったことにおいて「英雄的」であったのです。
 この時代に国際舞台に乗り出した作家たちのなかには、絶えず作品を進化・発展・成熟させていった作家たちだけでなく、今や制作をやめてしまったり、美術市場向けのブランド作品を繰り返したり、国際展や行政機関や美術館からの期待を満たすだけの作品を作っている作家もいるでしょう。しかし、先にふれたように、リー・ウェンは国内外から高い評価を受けるようになっても、造形作家(身体や空間利用を含む)としての作り込み、言葉による思考、人間の自由を束縛する制度への問いかけ、国内の若手支援や国際的なネットワークやアーカイブによる共有・連帯や歴史的継承の使命を最後まで貫いた作家だと思います。思想と行動の両面での一貫性と、このような使命感ゆえにこそ、リー・ウェンは「あの(英雄)時代」だけでなく、今日、そして未来にも、もはや「英雄」としてでなく、ひとりのアーティストとして生き続けることでしょう。
 と、らーさんが言ってます。(ししお)