2023年10月25日水曜日

どうも気になる黄金のカニ


当館の所蔵品に、《ボーディサッタと黄金のカニ》という作品があります。


マーリガーワゲー・サルリス[スリランカ]《ボーディサッタと黄金のカニ》20世紀中頃
マーリガーワゲー・サルリス[スリランカ]《ボーディサッタと黄金のカニ》20世紀中頃


以前この作品を目にしたとき、一体どういう状況なのだろうと思いました。


中心に座っている男性の危機を、世にも珍しい金色のカニが助けてくれた…といった場面でしょうか。

しかしなぜカラスと蛇に襲われているのでしょう。

こちらに見向きもせず遠くへ飛び去っていく一羽の鳥や、やけに牧歌的な背景を見ると、先ほどの「危険が迫っていたのではないか?」という予想は違う気がします。


飛んでいく鳥
 

緑豊かな背景


画面に描かれている以上、モチーフには必ず意味があるはずです。
丸くてかわいらしいカニをはじめ、この作品が気になってはいたものの、当時の仕事には全く関係のない疑問でしたので、自ら進んで調べることはありませんでした。

それからしばらく経ち、いつの間にかブログを書く順番が回ってきていました。
何を題材にするか悩んでいたのですが、せっかくなのでこれを機に《ボーディサッタと黄金のカニ》が一体どんな場面を描いているのか調べてみました。
あくまでも一個人の趣味の範囲ですので、何卒ご容赦いただければ幸いです。


まず、この《ボーディサッタと黄金のカニ》は、「ジャータカ」という釈迦の前生として語り継がれてきた五百を超える物語のうちの一つを描いたものです。
話の中に登場するボーディサッタは釈迦の前生の姿で、黄金のカニは釈迦の十大弟子のうちのひとり、アーナンダの姿とされています。


***

むかし、インドの東にサーリンディヤというバラモンの村がありました。
その村の農耕者の家に生まれかわったボーディサッタは、畑仕事に行く前に立ち寄った土地の外れにある溝で、一匹の金色のカニと出会います。近づいてきたカニをボーディサッタが自らの上着の中に入れ、溝の外へ連れ出してあげたことをきっかけに、二人はとても仲良くなりました。



また、ボーディサッタはとても綺麗な眼をもっていました。

彼の家の近くの木の上で巣を作っていた牝のカラスがそれを見て、牡のカラスに「あの眼が食べたいわ」と言います。牡のカラスは悩みましたが、「このターラの木(ヤシの木)の近くの蟻塚に住んでいる蛇に仕え、協力してもらいなさい」という牝カラスのすすめから、蛇に仕えるようになりました。

※ここで登場する牡のカラスはデーヴァダッタ(釈迦の教えに背いた弟子の一人)、牝のカラスはチンチャマーナーヴィカー(釈迦の子を身籠ったと嘘をついた女性)の前生、蛇はマーラ(悪魔)だとされています。

蛇が住んでいる蟻塚


カラスの巣があるターラの木


それからしばらく経ち、カニはすっかり大きくなっていました。

ある日、蛇は自らの世話をしてくれる牡のカラスに、「普段のお返しとしてなにかしてほしいことはないか」と尋ねます。牡カラスは正直に「妻(牝カラス)がここの田畑の主(ボーディサッタ)の眼を欲しがっているので、力を貸してもらえないでしょうか」と頼みました。蛇はこの頼みを快諾すると、翌日、草むらの中でボーディサッタが来るのを待ち伏せます。

一方、ボーディサッタはいつものように溝に立ち寄ってカニを上着に入れ、田畑に向かっていました。蛇はボーディサッタが来たのを見ると、草むらの中から飛びかかってふくらはぎに噛みつき、すぐさま蟻塚に逃げ込みました。

投げ出された右足

倒れたボーディサッタの上着から飛び出したカニは、蛇と入れ替わるように飛んできた牡のカラスが彼の胸にとまり、その眼にくちばしを伸ばしているところを目撃します。カニは、「このカラスのせいで友人の身に恐ろしいことがおこったのではないか」「このカラスを捕まえれば、逃げた蛇が戻ってくるかもしれない」と考えました。

カニはカラスの首をハサミでしめあげると、わざとカラスに助けを呼ばせました。その声を聞いて襲いかかってきた蛇をカニは返り討ちにして捕まえ、なんとか(二匹とも)逃げ出そうとする蛇の嘘に騙されることなく、蛇自身にボーディサッタの毒を抜かせることに成功します。たちまちボーディサッタの顔色が元に戻りました。

最後、「こいつら二匹を生かしておけば、きっとまた襲い来るに違いない」と考えたカニは、二匹の頭をその場で切り落とします。牝のカラスは飛んで逃げ去ってしまいました。

まだ首がついている状態の二匹

牝のカラスと思しき鳥


すっかり元気になったボーディサッタは、蛇の体を枝に突き刺して草むらへ投げ捨て、カニを溝に帰し、沐浴をして村へと帰ります。
この一件で二人の友情はさらに深まり、それからも仲良く暮らしたのでした。

***


描かれているイメージには意味があるはずだと最初に述べましたが、まさか一つの話に出てくるもの全てが一枚に描かれているとは思いませんでした。
元の話を知った上で見てみると、大きなカニが飛び出した上着のはだけ方や、毒を抜かせたためか鎌首よりも低い位置でしめられている右のハサミなど、作中の細かな描写がごく自然に組み込まれていたことがわかります。

はだけている上着

やや低い位置で首をしめられている蛇


これは個人の所感ですが、蛇とカラスを同時に絞めあげるカニというインパクトのあるモチーフを、画面中心のボーディサッタの視線を経由してから見える場所に配置することで、どちらか一方のみが目立たない工夫がされているように見えます。作者のサルリスは仏教版画から舞台美術、新聞の広告デザインも手掛けていた人物ですので、その構成力あってのものでしょうか。

参考 : SUNDAYOBSERVER


ただ漠然と面白い絵だなと思っていましたが、その背景を知ることで新たな魅力を発見できました。

とはいえ、やはり黄金のカニばかり見てしまいます。
上着に入れるにはいささか大きいようなぽってりとした形の黄金のカニが、いつか当館のグッズとして登場することを、ひそかに願うばかりです。


(交流・教育係 / 画像活用専門員  堺由加子)

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参考図書(*は当館所蔵図書)
・『ジャータカ全集 5』389.黄金のカニ前生物語(p.16)/監修・補注:中村元、訳:松本照敬/春秋社/2008年
・『インド古代民話集(ヂャータカ)上』訳:松村武雄/現代思潮社/1977年*
・『世界童話大系』蟹の助け(p.619)/世界童話大系発行會/1926年*


2023年10月1日日曜日

ゾロゾロゾロゾロ…この顔と出会った日

 1992年夏。北京郊外の円明園には、名刺に「自由画家」と印刷した若いアーティストたちが集まり、アーティストビレッジ「円明園芸術家村」ができていました。1989年に世界を震撼させた天安門事件の余波ののこる時代です。自由に表現することは難しく、美術家としての先の見えない不安や矛盾にみちた体制への諦めに似た気持ちを抱えながら、アーティストたちは、村を訪れた(おそらく)初の外国人学芸員であるわたしに、自分たちの作品を見せ、真剣に説明してくれました。明るく笑いながらも、実際には出口を見つけようとしていたのだと思います。もちろんこの時のわたしは、学芸員になりたての見習い状態だったのですが。


ファン・リジュン《シリーズ 2  No.3 1992


 そのとき訪ねた一軒が、ファン・リジュンの小さな画室でした。スタジオというよりも画室といったほうがふさわしい部屋で、もうひとりの画家と二人でシェアしていました。

残念ながら本人は不在でしたが、壁に立てかけられていた何枚もの絵は、まさにこの《シリーズ2》でした。同じスキンヘッドの顔で不遜に笑う青年が、何人も歩いていたり、ひとり大きく描かれていたり、まるで画室の中をゾロゾロと歩き回っているかのようでした。その強烈な印象はいまも忘れがたく、思えば、あの時が、わたしがアジア現代美術に出会い、後にアジア美術館で勤務することになった転機でした。

わたしは、この作品を展示するたびに、あの日に戻ります。その日の円明園の空は、まさにこの絵のようでした。青いけれども、どこか不安。その不安に押しつぶされたかのような絵の中の歪んだ顔。コピーされた一様な若者たち。この絵には、当時の閉塞感が漂う社会に生きる作家の所在のなさや、奇妙な笑いの奥に隠した抵抗が透けて見えます。

 

ファン・リジュン《九三、八号》1993

ファン・リジュン《No.121996 

アジア美術館自慢のコレクションの一部を紹介する今回の展示には、ファン・リジュンの他の作品も展示しています。水中でピースサインをおくるファン・リジュンの油絵、逃げるように泳ぐファン・リジュンを彫った木版画、そして円明園などで撮影されたファン・リジュンのスナップ写真です。

 

    シュ・ジーウェイ(徐志偉)によるファン・リジュン(方力鈞)の写真

画家方力鈞#1
1993年
いまはない北京郊外の円明園芸術家村のスタジオで撮影されたファン・リジュン。


方力鈞の誕生会 1993年 
1993年12月に円明園の方力鈞宅で催された誕生会。右端がファン・リジュン。
画家方力鈞#21995年 
円明園から北京郊外の宋荘にスタジオを移したころのファン・リジュンと飼い犬の猟犬。
画家方力鈞#31997年 
中央美術学院画廊の事務所へ通じる階段の手すりにもたれるファン・リジュン。


来年49日までファン・リジュンのコレクションを一堂に展示しています。90年代のファン・リジュンに会いにきて、その時代の空気を感じてください。(学芸員・ラワンチャイクン寿子)