2020年3月13日金曜日

1990年的在福岡蔡國強(から思うこと) Recall from Cai Guoqiang in 1990 Fukuoka

千葉県の美術館で紙をテーマとした中国現代美術展。蔡國強(ツァイ・グオチャン)が1990年のミュージアム・シティ・天神のために制作した作品2点をアジ美から貸し出し。ほかアジ美関係作家では建安(アジ美での読みはウー・ジエンアン)。
20日開会となっていますが、行かれる前に再度HPで開館状況をご確認ください。)

このときの作品です(蔡スタジオのサイト)
この作品が図解している福岡・北天神(長浜船溜、今もあるKBC塔近くの空き地)での準備過程と爆発の瞬間を記録した映像(ミュージアム・シティ・プロジェクト提供)も世界初公開!!!!(笑)。

蔡さんが、小雨降る日暮れに、ほぼ関係者しか見ていない中、地面をはいずり泥にまみれて爆発プロジェクトを延々準備し、当時は無名の中国人作家を周りの人が期待感をもって手伝い、また見守る情景は、のちに彼が世界的アーティストとなったことを思えば、ある意味では感動的です。
若き日のらーさんが手伝おうにも何をしていいかわからずおろおろしてます(笑)

最初、このくらいまで書いてフェイスブックにのせようと思ったら、らーさんが「思い出すことなど」あるというのでブログ前提に続けます。

らーさんが蔡さん(ツァイでなく、当時みんな「さいさん」と呼んでた)に会ったのは198911月、岡山の牛窓国際芸術祭でした。彼は出品作家ではなかったのですが(出品はウー・マーリー含む台湾、韓国、日本作家)、蔡さんはシンポジウムで19892月の中国美術館での歴史的な中国現代美術展にいたる80年代の中国前衛美術を紹介する発表者として来ていたのです。翌年2月に蔡さんが大阪府立現代美術センターで黄鋭(ホアン・ルイ、中国最初の前衛美術グループ〈星星〉メンバー)と二人展をやったときに、らーさんは(仕事の都合か?で)夜行バスで大阪まで行った覚えがあります(ほぼ満席だったので最前列で対向車線のヘッドライトで眠れない)。そのさらにあとだと思いますが、らーさんが東京で蔡さんの展覧会を見たあとだったろうか?当時取手にいた蔡さんの家に行くと、蔡さんが文明の展開を図解しながら壮大な彼の思想(忘れたけど)を語ってくれたことがあります。ちなみにその家の床の間にパンダを描いた水墨画?の掛け軸があって、彼のお父さんが描いた?とか言ってたような… 後年私は蔡さんとの早い出会いの証拠にこのパンダ画の写真を探したのですがどうしても見つかりませんでした。
1989年で中国と言えば天安門事件。アジア展史では第3回アジア美術展(福岡市美術館)で、中国作品はみな「全国美術展」系の写実的に少数民族を描くような油絵ばかり。しかし中国美術は1985年の「八五美術運動」に象徴されるように、10年に満たない短期間にあらゆる種類の実験が展開して一気に全アジア最先端に到達、その結果、天安門事件の数か月前の北京の展覧会での様々な事件にいたります。その過程は、蔡さんの報告や、東京の千葉成夫や東京画廊、ギャラリーQなどによって東京の美術業界にも知られていきました。ちなみに、1980年から中国美術をアジア展で紹介してきた福岡市美術館の誰一人、のちに世界を制覇した中国現代美術の源流である80年代前衛美術を知らなかったのです。
この1989年はなんていいだすときりがないんですが、後小路雅弘・福岡市美学芸員(のちアジ美初代学芸課長)がパリで「大地の魔術師たち(英語)」展を見て衝撃を受けた年でもあるのです。翌19901月には東京で国際交流基金アセアン文化センター創立。この流れの盛り上がりまでここで書くのは別のストーリーなので別の機会に。(福岡美術最盛期のことはこのブログ別記事「あのときのリー・ウェンから思うこと(また改訂)」参照)

1990年のミュージアム・シティ・天神(MCT)の作家選考にはらーさんも関わって、1980年代後半に日本各地で見た心ひかれる作家を多数推薦しています。しかし蔡さんを推薦したのではなく、山野真悟氏が旧知のギャラリーからの推薦でした。山野氏からこの作家の名前を見せられて、ああこの作家なら知ってますよ、と言った覚えがあります。
1990年のMCTは今思えば(いや当時でも)無謀極まりない、多くの作家を天神ほか都心部で展示させれるプランで、私も一部しか知らない無数のトラブルが発生してたのではないでしょうか。蔡さんははじめ天神ど真ん中のビルの駐車場?かなんかで火薬画を作ろうとして、一回の爆発だけで爆音のあともうもうと煙がたちのぼり…… 誰がこの蛮行(?)を収めたのかわかりません。
このときの火薬画に書かれた文字や図解を見れば、宇宙人の着陸跡かともいわれたミステリーサークル型に爆発させるアイディアは、天神の西日本新聞社屋上と、天神中央公園との交渉が不首尾となり、北天神の空き地になったことがわかります。その交渉の過程にはらーさんは関わってません。ただ蔡さんの滞在が延び、展覧会会期(917日~114日)はまだ途中でも、106日、火薬イベントには困難な雨の日に決行しなければならない事情があったと推測されます。
映像を見ればわかりますが、地面が濡れないように大きなビニールシートで覆ったなかを蔡さんが段ボール、火薬、導火線、レンガなどを必死に設置しています。全体の長さは200mだったなら、爆発はわずか2秒。それも地上からは誰もミステリーサークルの形なんて見えません。にもかかわらずらーさんはこの爆発には鮮烈な印象を受けています。

 蔡さんはこの1990年に、福岡が日本で(当時としては世界で?)唯一アジア現代美術を継続的に紹介してきたことと、のちミュージアム・シティ・プロジェクト(MCP)と名乗ることになる組織に期待して、翌1991年、フランス在住だった費大為(フェイ・ダーウェイ)をキュレーターに、MCP、三菱地所アルティアムほかの主催、アルティアムと福岡市の東の郊外の広大な空き地で蔡さん、ホアン・ヨンピンら5人の中国作家による「非常口 中国前衛美術家展」が開かれます。「非常口」の企画にはらーさんは関与してませんし、これはもう次のストーリーですので詳細は別の機会にしますが、1991年に蔡さんが行ったプロジェクトの映像(去年の「アジア美術、100年の旅」で上映)を見せるたびに、らーさんがこの爆発イベントを見たその瞬間に「自分のなかで『アジア現代美術』が誕生した」と語っていることだけを付け加えておきます。

(ししお)

2020年3月4日水曜日

先日FacebookやTwitterでご紹介をし、ご好評いただいている

アクセスすると、下記のような美術館コンテンツのトップページに入ります。
下方にスクロールすれば、アジ美の所蔵品153点の画像が閲覧できます。
Google A&Cでは、閲覧している作品と同じような作品を自動でサジェストしてもらえるので、
アジ美の作品をきっかけに古今東西様々な作品との出会いを楽しむこともできます。

ストリート(ギャラリー)ビューの話に戻りますが、ここで矢印の人型マークをクリックすると、突然アジアギャラリーのど真ん中に飛ばされます。
いきなりドン!とリキシャ(バングラデシュで使われている人力車。リキシャ・ペインティングと呼ばれる装飾が施される。)のおしりが見えています。
ちなみにですがリキシャの左側に見える低い机といすは、お子様がアジア美術の塗り絵をするためのもので、アジアギャラリーでいつでも楽しんでいただけます。

さて、ここからこの時のアジアギャラリーについてお話しますが、同じビュー内で館内掲示ポスターを見られるポイントが一つあり、それらのポスターを見ると撮影日は
2015年9月9日(水)であることがわかります。

このときのアジアギャラリー展示内容は、いずれもコレクション展である、
の2展です。
最初にみなさんが召喚されるポイントは、この2展示のちょうど中間である、
「珠玉のアジアコレクション」というコーナーの最初の部屋になります。
つまり、上の画像から右に移動すれば、アジアギャラリーの入口に向かいながら、「一粒の希望」展を見ることとなり、
左に移動すれば、「珠玉のアジアコレクション」の後半と「フシギ?の世界」展を見ながら、順路通りにギャラリー出口へ向かうこととなります。
ですので、アジアギャラリーを最初から観覧したい方は、初めの画面から右側に戻って(歩いて)いただけますと幸いです。


右に向かって戻って1つ前の部屋に行くと、カメラがあります。
という映像作品の上映機械だと思われるのですが、
このアジアテイストあふれるレトロポップなカメラと、
西洋科学技術の最先端で、ポップでもある(Google) Street View Trekker Cameraが向かい合ったと思うと
なんとなく心が暖かくなるような、シュールな光景に笑みがこぼれるような気がしますね。

(広報)






2019年10月31日木曜日

呉天章はなぜ『快楽的出帆』を使ったのか


1 産業構造の変化のなかで移動する少女たち
前のブログ記事(10月28で書いたように、『快楽的出帆』は近年まで多くの女性歌手にカバーされカラオケにもなっていますが、それは1958年・台湾という時代・地域を思い出させる曲でもあります。この時代には、台湾社会は農業社会から工業社会へという大きな変化を迎えており、農村の女性が都会へと工場などの仕事を求めて移動していきました(そういう画題は1980年代韓国の「民衆美術」にもしばしば登場します)。曾根史郎の歌った吉川静夫による歌詞は、男性が友人や妹と別れて海の向こうのどこかに働きに行く歌詞でしたが、蜚声による翻案歌詞では、若い女性が父母と離れてどこかに希望をもって旅立つ内容になっています。このような時代を代表する女性像が歌われているから呉天章はの歌を使ったといえます

2 白色テロ時代の慰安としての日本演歌
1950年代以後の台湾国民党政府は大陸への「反攻」を希求し、冷戦構造ではアメリカ陣営の一翼を担いながら、一種の鎖国状態にありました。『快楽的出帆』の11年前である1947年に起こった228事件」(「闇に刻む光」で展示された黄栄燦作品を参照)は、国民党政府による「白色恐怖(テロ)」の時代につながり、共産主義者またはその疑いがもたれる者への弾圧だけでなく、文化においても、社会の暗黒面・陰惨さを示す表現、性的表現などもきびしく規制されました。
そのような文化的鎖国と国内政治・文化の過酷な統制のなかで、台湾民衆に楽しみや慰安を提供したのは日本の歌謡曲、特に演歌でした。195070年代には日本演歌が人気を博し、特に船員や、1で述べた地方から都会の工場に働きに来た女性の心情を歌った曲が好まれました。当時の工員は工場でラジオの歌謡曲を聞きながら働いていたのです。
ちなみに作者の呉天章は1956年生まれなので『快楽的出帆』発売のときはまだ二歳でした。にもかかわらず彼はこの歌の記憶を鮮明にもっているそうです。この歌がスタンダード曲として長く愛されてきたからかもしれませんが、作者がまさに「出帆」する場所、港町である基隆の生まれであったからでもありました。

3 写真館の夢と幻滅
日本を含むアジア各地では卒業式や結婚式などの人生の節目で着飾って既存の風景画の前で記念写真を撮る習慣がありました。第2回福岡トリエンナーレ(2002年)で展示されたインドのサティッシュ・シャルマの観衆参加作品、サンシャワー展2017年)での写真館での記念写真を集積したマレーシアのイー・イラン作品を思い出してもいいでしょう。しかし写真館に用意された背景画は、普通の人々が行ってみたい美しい自然や豪華なホテルなどであり、しばしば写された人々のあまりに普通の恰好や現実生活とのギャップを露呈してしまいます。特に呉天章は、元にした写真よりも少女をよりリアルな外見に変えることで、現実と夢の落差を強調しています。
作者によれば題名の「春」は性を連想させ、「春宵」は新婚初夜を示します。少女の性を強調する胸に手をあてるポーズは、前述のような厳しい文化統制のなかでは公然と表現されるものではなく(作者は当時の保守的なサロン写真への揶揄もこめているそうです)、抑圧された性的欲求を垣間見せたものといえます。しかしそれは欲望の解放を讃えるものではありません。全然似合ってない安っぽい装飾のサングラス、額縁のチープな装飾を強調する照明、そして性的なジェスチャーは、華やか・晴れやかで希望に満ちた曲があらわす、新時代を積極的に生きようとする健康的な女性イメージの虚構性を暴き出してしまいます。「船出」の少女らしい純朴な希望を裏切って、都会では過酷な労働やあやしげな商売などの運命が女性を待ち受けているのでしょうか。
そのような暗示は、4点のシリーズである《春宵夢》の他作品との比較からわかります。シリーズIIII120x80cmの比較的小品であり、どちらもサングラスでなく蝶型の仮面で目を隠した派手な柄の旗袍(チーパオ)を着た女性の座像です。それに対し、装飾つきサングラスをかけて胸に手をあてたポーズ、幼さを残す少女と地味な服装の全身像、大きなサイズと変化する照明でアジ美所蔵のⅣに近いのは《春宵夢II》(台中の国立台湾美術館所蔵)です。この4点を総覧すれば、IIとⅣの純朴そうな少女が、妖艶さとけばけばしさで男性を引き付けるIIIIの女性像に変化する可能性をはらんでいることが推測されるのです。

4 「南の島」「南洋」はどこか?
女性歌手に歌われる『快楽的出帆』の主体を女性とすれば、彼女はどこに向けて船出するのでしょう? 日本の原曲歌詞は「常夏」「みどりの島々」「パパイヤ香る南の島」、台湾版で「迷人的南洋」「木瓜花香味」と、「南の島」が「南洋」になったものの、行先のイメージは共通しています。日本での「南洋」とは、東南アジアのほか、戦時中の委任統治領であり沖縄から多くの移民が渡ったミクロネシア(サイパン、パラオなど)を意味しますが、1958年の日本で「「パパイヤ香る南の島」がどこであったのかはわかりません。また《春宵夢》シリーズの4作のどれにも、そのような「南洋」を示す風景は描かれていません。たとえば《春宵夢I》の背景は明らかに台湾左営の春秋閣ですし、作者によれば、他に台中公園や日本の富士山も写真館で人気の背景だったそうです。つまり、『快楽的出帆』における「南洋」が日本語歌詞の置き換えにすぎず特定の場所を示すものでなかったとすれば、《春宵夢IV》においては、鎖国状態と政治的・文化的な暗黒期にあった現在地から脱出する「出発(出航、出帆)」自体が希求されたのであって、そこに隠蔽(抑圧?)されたのは、どこに行くのかわからない恐怖、行き場のない不安なのかもしれません
(ししお)


2019年10月28日月曜日

呉天章《春宵夢Ⅳ》の歌を調べてみた

1025日のFB投稿でお知らせした、ARTNEの記事に出てくる呉天章作品に使われた音楽について、ウィキペディアや中国語検索サイト「百度」検索などで調べてみました。
歌手名・タイトルから動画にリンクしてます。

原曲 曾根史郎(朗)『初めての出航』 富田一雄作曲 吉川静夫作詞 1958
なんと男性による歌唱でした。
曾根史郎=1930年生まれ。ポリドールからデビュー、のちビクターレコードに移籍。1956年、『若いお巡りさん』が歴史的な大ヒット。同年、同曲でNHK紅白歌合戦に初出場。紅白歌合戦には4回連続出場。『初めての出航』は1958年の第9回紅白歌合戦で歌われた。2008年、第50回日本レコード大賞で功労賞を受賞。(ウィキペディアより) 

作品に使われた陳芬蘭『快楽的出帆』(快樂的出帆/的出帆) 1958
台湾の陳坤岳(筆名・蜚声)が台湾語閩南語に訳すが、原曲歌詞の「かもめ」のみ「卡膜咩」と音訳する。姪の陳芬蘭(当時10歳)に歌わせて人気曲となる。台湾らしい海の題材と明るく活気のあるメロディーにより多くの女性歌手にも歌われた。
陳芬蘭(1948年生まれ 中国語、台湾語の歌の歌手。「台湾の美空ひばり」と言われる。8歳でデビュー、14歳で台湾人歌手として初めて日本の歌謡界に登場。《月亮代表我的心》のほか『快楽的出帆』でも知られる。

テレビ映像 テンポがはやい!

ハワイアン風?の変な編曲と時代を感じさせるカラオケ映像。かなりイマイチな俳優さんたちですが(笑)、歌っているのはなんとゴージャスにも鄧麗君=テレサ・テンです! さすが声が可憐で美しい! なのにこの映像!(笑)

ゴージャスさをかんちがいしてます!! 
原曲の雰囲気台無し(笑)!!!

ところで
「じゃあなぜ呉天章はこの曲を使ったんだ?」 
……えー、それはまたあとで。

(ししお)

2019年10月21日月曜日

追悼:ホアン・ヨンピン


中国美術、いやアジア美術の潜在力を世界に知らしめた功績は不滅です。
権威化された美術、植民地主義、商業主義など、あらゆるものへの批判精神を貫いた真に偉大なアーティストの冥福を祈ります。

らーさんのホアン作品との出会いは1991年のミュージアム・シティ・プロジェクトと三菱地所アルティアムによる「非常口 中国前衛美術家展」でした。そのときのホアン氏の若々しい姿は現在開催中の「アジア美術、100年の旅」で見せている蔡國強の記録映像のなかでちょっとだけ見ることができます。蔡氏の火薬ドローイングの制作を手伝っている小柄な眼鏡をかけた人が黄氏です。

そのあとらーさんは1993年の欧米のアジア作家調査の間にベルリン「世界文化の家」で開かれた中国現代美術展(リンクドイツ語のみ)で、新聞紙をぐちゃぐちゃにしたものを天井の高い大きな空間の柱にはりつけた黄氏の作品を見て、再び衝撃を受けました。
「世界文化の家」(ベルリン)での展示(1993年) 撮影:らーさん

「非常口」の屋内・野外作品と同様、あらゆる固定観念・概念を無化してしまい、かつ空間への攻撃力をもつ作品は素材のインパクトとともに様々な思考を誘発します。
生きたサソリや蛇を使った作品や、中国・フランス・アメリカの国際関係に介入したような彼の作品はしばしば物議をかもしました。そこにあるのは、いかに高度な文明と技術を誇ってもしょせん弱肉強食や盛者必衰という自然界のサイクルから逃れられない人間の運命への洞察でした。しかも、激辛の批評性の裏に、想像力をはばたかせる遊戯性を失うことなく。

ホアンの作品は空間的インパクトと暴力性をはらみつつも、彼を世界の舞台に押し上げたのその底にある透徹した思考と妥協なき批評性なのです。若手作家の挑戦もあっという間にビジネスにとりこんでしまうことで作家を骨抜きにする美術市場、集客用スペクタクル志向に慣れっこになったお祭り的な芸術祭がはびこる現在、ホアン・ヨンピンはそれらを巧みに利用しながらも、その生の最後まで孤高のアーティストであり続けたことに改めて驚きと敬意を感じずにはおられません。(ししお)

2014年9月5日、第4回福岡トリエンナーレ(FT4)でトーク中のホアン・ヨンピン
Huang Yong Ping talking at the 4th Fukuoka Asian Art Triennale, 5 September 2009

FT4のホアン・ヨンピン作品「ニシキヘビの尾」(2000年)展示風景
Huang's work at 4th Fukuoka Asian Art Triennale, 2009
Python's Tail, 2000, collection of Guy and Myriam Ullens Foundation, Switzerland

2019年9月27日金曜日

「博多旧市街まるごとミュージアム2019」開催します!

博多旧市街まるごとミュージアム2019

期間:2019年10月11日 (金) 〜 2019年10月14日 (月)
会場:承天寺、東長寺、龍宮寺、妙楽寺、善道寺

■ 博多旧市街まるごとミュージアムとは?
歴史を感じる舞台でアート作品を展示する屋外型アートイベン卜「まるごとミュージアム」。
昨年に引き続き、博多旧市街エリアを舞台に、国内外の7アーティストによる多彩な作品を展開します。
今回は 「博多旧市街ライトアップウォーク」とのコラボを拡大。ライトで彩られた歴史あるお寺に、屋外ならではの巨大な作品や、作家が福岡に滞在し制作した作品が登場します。
「古い」と「新しい」が混在した秋の博多をお楽しみください!

■ 博多旧市街プロジェクト 概要
日本中世最大の貿易港湾都市・博多の中心として栄えた「博多旧市街(オールドタウン)」には、中世に由来する歴史・伝統・文化が数多く伝わっています。歴史ある寺社が連なる静寂なまちなみや、活気あふれる商店街の散策、博多の伝統工芸や伝統芸能とのふれあい、祭り好きで知られる博多っ子の暮らしや文化を感じられる体験など、福岡の旅がより一層深まるエリアです。


■ 各会場の出品作家と観覧可能時間
 ◇承天寺(仏殿)(博多区博多駅前1-29-9)
   18:00~21:00 島田正道 

 ◇東長寺(博多区御供所町2-4)
   10:00~21:00 ハン・ソンピル
   10月11日(金)18:00頃 んまつーポス

 ◇龍宮寺(博多区冷泉町4-21 )
   10:00~21:00 キャンディー・バード
   18:00~21:00 チェオン・キー・チェン

 ◇妙楽寺(博多区御供所町13-6)
   10:00~21:00 レ・ヒエン・ミン

 ◇善導寺(博多区中呉服町6-24)
   10:00~21:00 久保寛子
 
 **昼間は観覧無料。18:00以降は一部展示会場をのぞき、ライトアップウォークチケットが必要です。**

■ 作家紹介


① 島田正道 Shimada Masamichi
1978年生まれ、高知県佐川町在住のライトアーティスト。地域を調査し、その場所独自の物語をコンセプトに、木や金属、紙など様々な素材と光を織り交ぜたライトインスタレーションを制作する。国内外のライトフェスティバル、アートフェスティバルに参加。

 
②ハン・ソンピル Han Sungpil
1972年生まれ、ソウル在住のアーティスト。福岡アジア美術館のレジデンス作家として、今年5-7月に福岡に滞在。現実と仮想、オリジナルと複製、歴史と痕跡などをテーマとした写真や、建物に写真バナーを設置する大型インスタレーションなど都市空間の見え方を一変させるようなダイナミックな作品を発表。北極・南極を含め世界各地で撮影を重ねる。

 
③ キャンディー・バード Candy Bird
1982年生まれ、台北在住のアーティスト。街の中の壁面に、社会や歴史に取材した人々の姿を描きだす。福岡アジア美術館のレジデンス作家として、2019年2~3月に滞在。本展では「アザーズ」を発表する。
 
 
④ チェオン・キー・チェン Cheong Kiet Cheng
1981年マレーシア、クアラルンプール生まれ、在住のアーティスト。福岡アジア美術館のレジデンス作家として、今年5月に福岡に滞在。神話や自然と人との共生をテーマに、幻想的な絵画世界を展開する。近年は、神々や女性、木々や鳥などの自然を細かなタッチで描き出すペン画に取り組む。
 
 
⑤ レ・ヒエン・ミン Le Hien Minh
1979年ハノイ生まれ、ホーチミン在住のアーティスト。福岡アジア美術館のレジデンス作家として、今年8-10月に福岡に滞在。女性の身体や社会における位置づけなどをテーマに、ベトナムの伝統的な手漉き紙「ゾー」を用いたインスタレーションや彫刻作品を制作。

 
⑥ 久保寛子 Kubo Hiroko
1987年生まれ、広島県在住のアーティスト。生活に身近な素材を用いて、農耕や偶像をテーマに、スケールの大きな立体作品を制作する。「六甲ミーツアート2017」公募大賞グランプリを受賞したほか、「瀬戸内国際芸術祭」(2016)、「スマートイルミネーション横浜」(2017)など屋外での展示が高く評価されている。
 
 
⑦ んまつーポス Namstrops
2006年、「んまつーポス」(Namstrops)結成。逆さにこだわったコンテンポラリーダンスカンパニー。「逆さから物事を考えることで新たな価値を創造する」実践的研究を展開。カンパニーの名前もスポーツマンの逆さ読み。メインメンバー3人による「現代芸術的体育」の独自な作品スタイルは、海外フェスティバルも注目。これまでにアジアはもとよりヨーロッパのエストニア等(12カ国35都市)で作品を上演。また国内では、全国の美術館に「体育」(からだを育む思想)を展示する実験的上演活動を展開。


関連イベント:アーティストトークツアー 
       10月12日(土)15:30~16:00 
       詳しくは→https://faam.city.fukuoka.lg.jp/event/9047/
 

2019年5月24日金曜日

ナリニ・マラニがミロ賞受賞!

アジ美所蔵作家、初代レジデンス作家、福岡アジア文化賞受賞者であるインドの美術作家ナリニ・マラニが、ジョアン・ミロ財団とla Caixaによるジョアン・ミロ賞を受賞しました。同賞ではアジア作家では初めて。

受賞理由をさっと訳しますと

(前略)審査員たちは、ジョアン・ミロのような、挑戦的な想像力と社会政治意識の価値の長年にわたる追求により、インド作家ナリニ・マラニを受賞にふさわしいと考えました。/長い活動歴を通じてマラニは、沈黙をしいられたり富を持たない人たち、特に世界中の女性たちの声を伝えてきました。ナリニは、東洋と西洋の無数の文化を参照しながら、複合的で空間全体を使ったインスタレーションで見る人を巻き込み、私たちが生きる苦難に満ちた世界の見方を提示する強力な作品群を制作しました。現代の象徴物や図像生成だけでなく、ギリシャからインドにおよぶ古代神話への深い知識によって、彼女ならではの、コスモポリタンな図像の融合を展開することによって、現代の暴力や不正とその世界的な影響を大胆に批判してきたのです。/それに加えて、ミロと同様に、マラニは異なるジャンルやメディアを探求し融合させてきました。特に演劇、インスタレーション、ドローイング(素描)、映像を融合させる手法は1960年代から続いています。(以下略)
(原文とナリニ作品紹介は上記リンクのミロ賞のプレスリリース参照)

おめでとうございます! (ししお)