2020年5月29日金曜日

#おうちであじび ✏️おうちで知りたいアジアのアート✏️Vol.8

リー・シュアン(李爽)の《赤い子供たちと家の神様》
(旧題《神棚の下の赤い子供》)の謎を解く

館長・運営部長 
黒田雷児

1 〈星星画会〉

 現在開催中のコレクション展「メッセージ アジア女性作家たちの50年」展(6月23日まで、アジアギャラリーB)の最初のコーナーに、きわめて謎めいた絵が掛かっています。リー・シュアン(李爽)の《赤い子供たちと家の神様》(以下『赤い子供たち』)です(これまで《神棚の下の赤い子供》としてましたが、今回の調査をふまえて日本語題名を修正しました。後述。)


挿図1 第2回星星展の李爽とその作品《希望の光》《赤い子供たちと家の神様》
Photograph by Helmut Opletal

 李爽は、1979年に結成された中国現代美術史上最初の前衛美術グループである〈星星画会〉(以下〈星星〉)のメンバーで、この作品はその第2回展(1980年8月20日~9月7日、北京・中国美術館)で発表されました。〈星星〉は、ホアン・ルイ(黄鋭)、マー・ドーション(馬徳昇)らを中心に結成されたグループで、1979年9月の街頭展を創立展とし、1983年8月のグループ展まで活動を続けました。〈星星〉は、共産党による人民の宣伝・教育のための毛沢東様式や高度な技術によるアカデミズムが求められる「全国美術展」とは無縁の、自主独立の美術グループであり、同じ頃の〈無名画会〉や〈草草〉よりも高い政治意識をもち、雑誌『今天』を発行していた詩人や評論家とも連携して、中国美術の新時代を切り開きました。

 ただし〈星星〉は、特定の理念・芸術様式を主張したグループではなく、注目されたワン・コーピン(王克平)による政治的寓意を秘めた作品で代表されるものでもありません。ポスト印象主義、ピカソ、マティス、シャガールなどのヨーロッパのモダニズム様式を取り入れ、政府・美術大学から独立したグループ展により、共産党の理念とは無縁な個人の感性と思想を表現しただけで、十分に革新的だったのです。しばしば「太陽」で象徴された唯一にして絶対的な指導者=毛沢東に対して、自ら「星星」を名乗ったことにも個人を重視するメンバーの姿勢が現れています。

 中国美術館の東隣の公園(「花園」)の鉄柵を使った最初の〈星星〉展は、同美術館で国慶節にあわせて開催中の「建国30周年記念美術展」の会期にぶつけて1979年9月27日から開かれ、官製アカデミズムへの対抗を示すものでした。しかしこの展示は3日目に当局によって「人民の正常な生活と社会秩序を乱す」として中止させられ、その措置に抗議し表現の自由や民主化を求める〈星星〉メンバーの一部は、10月1日、建国以来最初となる「官製」ではない街頭デモを敢行します。『今天』や論壇誌『四五論壇』などからの支持も受けたこの美術家の行動は、「民主の壁」(注)にあらわれた中国社会の変化を示すものとして海外のメディアにも広く報道されました。また会期中には都心部をゆきかう一般市民向けのアンケートをおこない、〈星星〉の前衛的な作品にも好意的な反応が目立ったこと、第2回展が8万人もの観客を得たことから、星星による「解放された思想」(ボ・ユン[薄雲]の言葉)を求める行動が決して孤立したものではなかったことを示しています。
(注)民主の壁=1978年秋頃から1979年3月29日まで、北京中心部の西単で大字報(壁新聞)が発表された壁。中国の民主化運動として国際的に知られる。 


挿図2 第1回星星展(北京・中国美術館横空き地) 左手前から劉迅(北京市美術協会)、李爽、ひとりおいて王克平 1979年9月27日 Photograph by Li Xiaobing
(出典:http://collection.sina.com.cn/ddys/20130819/0904124140.shtml


2 文化大革命の「傷痕」 

 
挿図3 リー・シュアン(李爽)『赤い子供たちと家の神様』 1980年 

 前述のデモにもイェン・リー(厳力)とともに参加した李爽は、〈星星〉創立時では唯一の女性メンバーでした。父親が清華大学の教員であったために、文化大革命時代には「黒五類」(注)のひとつである「右派」として父親は紅衛兵に批判され大学に幽閉され、李家も5回にわたって紅衛兵の捜索を受けるなど、少女時代に家族とともに文革の苦しみを経験しました。骨董商をしていた母方の家族の影響もあって13 歳から絵を描きはじめた李爽は中国青年芸術劇院で舞台美術を担当、〈無名画会〉のメンバーや詩誌『今天』の詩人らによる非公式の文化サロンに出入りするなかで『今天』の黄鋭から誘われて〈星星〉第1回展に参加します。

 1969年、ジャン・ジーシン(張志新)という女性が毛沢東思想を批判して投獄され、1975年に殺害されました。李爽には《赤、白と黒》など、〈星星〉創立展の少し前に名誉回復されたこの張志新の悲劇を扱った作品もありますが、この《赤い子供たち》には直接の政治的メッセージはなさそうに見えます。題名も作品中の図像もあまりに謎めいているため、このたび、フランス在住の作家にメールでインタビューをおこない、初めてこの作品を読み解くヒントを得ることができました。

 中央にいる男の子によりそう犬は作者自身。「黒五類」は個人の価値をその出身階級・経歴から断罪するものなので、その家の子供も「犬畜生の子」と呼ばれ差別されたのです。なおこの作品とともに星星第2回展に出品された木版画作品『荒野のわが友』(当館所蔵)でも自分を犬に象徴させています。左には女の子を守ろうとするような母親がいますが、その首には、作者の心の迷いを表すという不気味な緑色の生き物がまとわりついています。右側に青黒いシルエットだけで描かれた女性は、よく見れば体中に棘が刺さり、文革で家族みんなが受けた苦痛を思わせます。その女性は、中央上の赤いハート形に手を伸ばしています――このハート=赤い心臓は、理不尽な苦しみから家族を解放してくれるかもしれない神的な存在を表します。「黒五類」として糾弾された彼女は、「黒」を否定するかのようにあえてここで熱く息づく心臓を「紅(赤)」で描き、題名としました。赤い心(臓)は、本来は寛大な心で家族を遇してくれるはずなのに誰も助けてくれなかった、という作者の怒りに満ちた詰問を思わせます。右上の気球のような形は、作者が子供のときに見た夢に関係があるようですが、この作品では自由・解放への希求を表していると考えてもよさそうです。
(注)黒五類=文革初期に労働者階級の敵とされ批判された、地主、富農、反革命分子、破壊分子、右派とその家族。

 するとこの作品は、1979年から中国美術界に登場した、文革時代の悲劇をテーマとした「傷痕芸術」の流れにあるとも考えられます。〈星星〉が登場した年でもある1979年は、路上での紅衛兵の蛮行を描いたチョン・ツォンリン(程叢林)の《1968年X月X日雪》、惹かれあう若い紅衛兵の男女の悲劇を描いた連環画《楓》が発表された年です。これらの高度な写実技巧による重厚な画風と、李爽の即興的で表現主義的な画風はかけ離れていますが、公然と語ることが困難だった文革の悲劇を芸術のテーマとする点で共通していたのです。

 では、そのような意味をこめた「神台下的紅孩」という題はどのように訳せばいいでしょうか。当館ではこれまで《神棚の下の赤い子供》と直訳していましたが、上記のように、ここには中国の伝統的な「神台(神棚)」が具体的に描かれているわけではありません。ここでいう「神」は特定の宗教の神ではなく、暖かく寛大な心をもつ、神のような存在と思われます。紅衛兵や周囲の人々の暴行・糾弾から家族を守ってくれるはずの父親が行方不明であり、その父親に代わって家族の苦しみを本来は理解し、救済してくれるべき存在、本当に存在するかもわからないが絶望や怨恨を超えて求めざるを得ない対象、それが想像された「神」なのでしょう。作者があえて「神」でなく「神台」としたのは、家に常駐して家族を守る存在を明示するためでしょう。以上をふまえて、「子供たち」による、見えないけれども家を守ってくれる神への願いを強調するため、直訳を避けて、日本語題名を《赤い子供たちと家の神様》と改めてみました。

 なお作者は、この《赤い子供たち》を描くことによって父親を家に取り戻したいという願いをこめて描いたそうです。果たしてその願いはかなえられたのでしょうか? 男の子が中央を占めるのに対し、女の子が画面の端に追いやられようとしているのは、男子の子孫を優遇する習慣を示すものでしょうか? そもそも、なぜ作者は、題名となる子供でなく、犬に自らを象徴させたのでしょう? 緑色の生き物と青黒い人物は家族の一員でしょうか、あるいは?――この作品の謎はまだ完全には解明されていないのです。


3 解放された欲動

 《赤い子供たち》全体の様式は、強烈な原色を平面的に配列したマティス、人物や動物が重力を無視して配置されたシャガールの絵などを思い出させますが、〈星星〉第2回展にいっしょに出品された《希望の光》が淡い色調と直線を主とした構成によるのと対照的です。《希望の光》完成後に突然意欲がわきおこって寝床のシーツを裂いて描いたという作者の証言からしても、心中にわきあがるイメージをいっきに吐き出したようです。それはシュルレアリスムのオートマティズム(自動筆記法)を思わせますが、それは意識による抑圧や芸術的配慮を経由しない表現を求める手法でした。前述のように、この作品によって自分の家への父親の帰還を願ったという作者の言葉と、左の母親像にまといつく不気味な生き物は、文革による社会からの迫害という状況だけでは説明がつかない、抑圧された情動も感じさせます。

 李爽は、〈星星〉の活動にも好意的だったフランス大使館の職員、エマニュエル・ベルフロワと交際し、当時は外国人との結婚を禁じていた中国の法律により、1981年9月9日に逮捕されます。それは〈星星〉による政府批判を好ましく思わない政府による介入と思われましたが、他の〈星星〉メンバーは逮捕を免れました。のちこの「李爽事件」は、フランス政府を巻き込んだ釈放運動につながり、そのおかげで1983年に釈放された李爽はフランスに渡り、翌年にベルフロワと結婚します。このエピソードにも、彼女の自由奔放な生き方が現れており、当館所蔵の彼女の木版画作品『離別』(1980年)は恋人との海を隔てた別離を予言していたと作家は考えます。しかし『赤い子供たち』に見る激しい表現を、この「事件」に現れた「女性性」によって説明するべきではありません。なぜなら、〈星星〉の短い運動がめざしたものは、アカデミズムやプロパガンダでは決して表現することができない、政治や社会の規範と衝突せざるをえない個人の激情や欲動の解放であったからです。そう考えると、主導者であった黄鋭の明快な構成、王克平のグロテスクなイメージによる政治性などよく知られた〈星星〉の作品と比べても、この『赤い子供たち』は、内面の鬱屈をストレートに解放した点で、〈星星〉の重要な一面を代表する作品ともいえるでしょう。

 ここで再び〈星星〉メンバーにもどって考えれば、中央美術学院で美術史や壁画を学んだ作家や、アイ・ウェイウェイ(艾未未)や李爽のように舞台美術の仕事をした作家がいますが、専業美術家は北京画員のシャオ・フェイ(邵飛)くらいで、ほとんどは正式の美術教育を受けていないアマチュア画家でした。中心人物の黄鋭も詩人として出発しました。すると当然、全アジアでも最高度の技術を身につけた美術学校卒業生と比べれば、〈星星〉作品のほとんどは技術の稚拙さを隠せません。しかし、〈星星〉がアマチュア美術家であったからこそ、官製美術展・美術教育の枠内では絶対に不可能だった「前衛的」実験につきすすむことができたとも考えられます。実際には〈星星〉作品には、寓意や象徴性のない、人物・風景・静物を写生しただけの作品も多く見られます。〈無名画会〉と同じく、いっさいの政治的効果や社会的認知への野心を顧慮せず、純粋に「描く喜び」を解放させるというアマチュア精神こそが、中国の特殊な状況では歴史的な転換を起こすことができたのです。

 1980年代半ばに「85美術運動」として中国各地で爆発した前衛美術は芸術内の実験に専心し、1990年代以後に世界を制覇していった中国美術が国際展のスペクタクルと強力な美術市場に吸収されていったことを考えれば、政治との対決をもおそれずアマチュア精神で表現の欲動を解放した〈星星〉の短命の活動は、現在の美術状況のなかでこそみずみずしさをとりもどすのではないでしょうか。

参考文献

呂澎、易丹『中國現代藝術史 1979-1989』(長沙:湖南美術出版社、1992年)
許静璇編『星星十年』(企画:張頌仁)、香港:漢雅軒2、1989年 Hui Ching-shuen, Janny (Ed.) The Stars: 10 Years (curator: Chang Tsong-zung) (Hong Kong: Hanart 2, 1989)
牧陽一『アヴァン・チャイナ―中国の現代アート』(東京:木魂社、1998年)
東京画廊、田畑幸人『要芸術自由・星星20年』(東京:東京画廊、2000年)
李爽访谈(王静によるインタビュー、2007年8月)星星画会(The Stars Art)ウェブサイト
霍少霞『星星藝術家:中国當代藝術的先鋒1979-2000』(台北:藝術家出版社、2007年)
Kuiyi & Andrews Julia F. Shen, Blooming in the Shadows: Unofficial Chinese Art, 1974 - 1985 (New York: China Institute Gallery, 2011)
陳海茵「中国現代アートとアクティビズムにおける『政治』の多義性――ポスト文革期の前衛芸術グループ『星星画会』を事例に――」、『年報カルチュラル・スタディーズ』5号(カルチュラル・スタディーズ学会、2017)、97-118.

2020年5月17日日曜日

#おうちであじび ✂おうちであそぼう🖌 Vol.7 ワークショップ:「箱形カメラ人間になろう!」(チェン・サイ・ファ・クァン/シンガポール)

#おうちであじび
おうちであそぼう🖌 
Vol.7 ワークショップ:「箱形カメラ人間になろう!」(チェン・サイ・ファ・クァン/シンガポール)

このワークショップは、2013年にあじびに滞在したシンガポールのアーティスト、チェン・サイ・ファン・クァン(サイ)さんが小学6年生134人と行なったものです。
ワークショップは、ピンで穴を開けた段ボールの箱をペイントして頭から被り、いろいろな場所で箱の中に写るイメージ(像)を見る、というものでした。その際、サイさんがカメラの仕組みを説明するために、暗くした部屋の窓からピンホールで光を取り込んで部屋の中にイメージ(像)を写し出して見せてくれたのがとても面白かったので、紹介します。
 皆さんのお部屋でもぜひ試してみてください!



【準備するもの】
 ・遮光カーテン、段ボール、板など、窓を塞ぐもの
 ・10×10cmくらいの黒くて透けない紙、またはベニヤ板など
 ・キリや針など穴を開けるもの
・ガムテープ
 ・白い厚紙、パネル、トレーシングペーパーなどイメージ(像)を写すもの


【作り方】


①10×10cmのベニヤ板(または黒くて透けない紙など)にキリや針などで小さな穴を開ける










②ベニヤ板を窓に固定する 















③遮光カーテンなどで窓を塞ぐ



④ピンホール以外から光が入らないようにする




⑤部屋の明かりを消して、白いパネルなどにイメージ(像)を写してみましょう。
白いパネルを動かして像を結ぶ場所を探してください。トレーシングペーパーはイメージが透けてきれいに見えます。
上の写真は、美術館の窓からアンパンマンミュージアムの天井を写し出したものです。
実物はもっと鮮明に、イメージ(像)は、逆さまに写っています。
車が走っている様子などを動画で見ることもできます。


◇サイさんの滞在中の活動(2013年)はこちら




#カメラオブスキュラ
#チェン・サイ・ファ・クァン
#workshop
#pinholecamera
#cameraobscura
#chensaihuakuan

[耳]

2020年5月15日金曜日

#おうちであじび 🎤おうちで何してる?(アジアのアーティスト編)🎤 Vol.3

※English below※

本シリーズでは、レジデンスプログラムや展覧会であじびに滞在したことのあるアーティストに、今住んでいる街の様子や自身の状況、また現地での芸術活動についての報告を紹介していきます。第3回目は、ベトナム在住のアーティスト、ヴー・キム・トゥーさんからの現地報告です。

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第3回:ヴー・キム・トゥー (アーティスト / ベトナム)

ヴー・キム・トゥー

1976年、ベトナムに生まれる。1999年、ハノイ美術大学美術科卒業、2003年、シカゴ美術大学付属大学で修士号を取得。紙を使ったランタンによる繊細なインスタレーション作品を制作するアーティスト。福岡滞在中、八女和紙などを用いてランタンを制作し、2018年10月に開催された「博多旧市街まるごとミュージアム」で龍宮寺三宝大荒神堂にインスタレーション「水とみる夢」として構成した。

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2020年5月02日

私はベトナム、ハノイに住んでいます。

2020年1月下旬から中国、武漢で新型コロナウイルスが制御不能なほど蔓延していましたが、ベトナムは中国との距離が近いので、私たちはとても心配していました。そのため、幼稚園から大学までのすべての学校は3ヶ月間閉鎖され、教育・学習プログラムはオンラインへと移行することになりました。これまでのところ、ベトナムでは270人の患者がいますが、そのうち222名はすでに回復しており、死亡例は出ていません。私が住むハノイは人口800万人を超える都市で、その人口密集度のゆえに、新型コロナウイルスの高い感染リスク下にあります。

2月から3月初旬にかけて、政府はベトナムに到着する全ての旅行者に空港での渡航歴の申告と体温検査を実施しました。しかしこの措置は十分とはいえず、3月の第2週には、新型コロナウイルスの患者数が増加しはじめました。患者は主に外部からの来訪者で、ハノイ、ホーチミンや他の地方に影響を及ぼしていきました。3月後半から4月までの5週間、政府は旅行者に対して国境を閉じ、海外から帰国するベトナム国民のみに開くことを決定しました。空港に到着した帰国者はすぐに、軍の基地や遠隔地の病院に隔離されることになりました。

4月は特に厳しい状況でした。ハノイでは、薬局と雑貨店の営業は認められていましたが、それ以外の公共交通機関、タクシー、美術館、施設は完全に閉鎖されました。公園での運動、湖でのウォーキングすらも禁止されました。このように空っぽになってしまったハノイの街を見たのはこれまでの人生で初めてです。私たちは毎日朝6時と夕方6時に放送されるニュースを見ていました。それは保健省がこのニュースを通じて新しい感染者数、回復者数、そして隔離中の人びとの様子を伝えていたからです。

ベトナムでは、現在も新型コロナウイルス(の感染)を制御しようと試みています。そのために、F0、F1、F2と呼ばれるシステムを開発しています。もし、ある人が新型コロナウイルスと診断された場合、その人はF0と表示されます。F0と同じ家に同居している配偶者、両親、子供はF1となり、その人と接触した友人たちや近所の人たちはF2となります。政府は過去14日間にF0、F1、F2が全員一緒にいた場所を追跡し、その場所にいた人たちも隔離・監禁の対象にしています。そのために、ベトナムではまだ270件の感染しかないにもかかわらず、5万人以上の人びとが軍基地や自宅での隔離下にあるのです。国は自国の医療システムの脆弱さを十分認識しており、新型コロナウイルスを拡散させないため懸命にコントロールしています。

これまでの人生のなかでこれほど大きな危機を伴ったパンデミックを目撃したことはありませんでした。あらゆる国々、私の家族、そして様々な社会的背景を持つ世界中の友人たち全てに影響を及ぼしたのです。この数ヶ月、社会的距離をとって暮らしながら、人生において何が大切かを考え、振り返るための多くの時間を手にすることになりました。

私たちは皆、この嵐の只中にいます。私は多くの時間をアメリカ、ヨーロッパ、アジア各地の友人たちとの会話に費やしました。友人たちの様子を確かめ、家族の安否を尋ね、私たちが直面している困難について話し合いました。このことは、命というものがとても尊く、また同時に永久的なものではないことを私に気づかせてくれました。パンデミックの前に私たちが日々の生活で当たり前にしていたこと(例えば、湖の周りを歩いたり、映画館に行ったり、友人たちと集まること)は、今では贅沢なものになってしまいました。ロックダウンのあいだ、ミニマリズムが私たちの生活スタイルになりました。何年も前から、いつか自分の暮らし方にミニマリズムを取り入れたいと思っていましたが、できないままでした。パンデミックのあいだは、むしろそうせざるを得ませんでした。自分も含めて多くの人が仕事を失い、主要な収入源が減ってしまった今、基本的な食料、生活用品、基本的な医薬品といった本当に重要なものだけにお金を使うことに注意を払うようになりました。1月以降、ずっとパジャマを着て過ごしています。家の中や洋服棚を見渡してみると、自分にとって必要のないものがたくさんあることに気がつきました。パンデミックが終わった時、物質的所有に対する人びとの見方は一変していると思います。私たちは物理的には社会的距離を取っていますが、精神的にはそうではないのです。

私にとって、この2ヶ月ほど友人たちとたくさん話したことは、これまでの人生でありませんでした。これまで長年話す機会すらなかった友人たちの多くもロックダウン下にあったので、私たちはスクリーンの小さな枠のなかでより親密になっていきました。ズーム、スカイプ、メッセジャーを介して、私たちはお互いの安全やそれぞれの場所での近況報告、援助の必要の有無を確認したり、芸術実践を共有したり、映画やテレビ番組、オペラ、オーケストラ、パフォーマンス、美術館について話をしたり、オンラインでヨガをしたりしました。私には、インターネットが無いパンデミックがどのようなものになるのか想像できません。いろいろな意味で、私たちは地理的に離れ離れになっているけれども、このようなかたちで一緒に近くにいるのだ、とも言えます。アートは社会に貢献するとても力強い)ツールです。エンターテイメントの一形態であるだけでなく、アートは現実を映しだし、危機における私たちの物語を語ってくれます。美術作家の友人たちの多くは、医師や看護師への支援金オークションを行なうために、自らの作品を寄付していました。フェイスマスクを作ってはコミュニティに無償で配る人たちもいますし、ある作家は自分のドローイング付きのとても個性的なマスクをデザインしていました。

パンデミックは、多くの人たちの優しさを引きだし、人生の価値をリセットしました。また、ベトナムの政府の良い側面も垣間見せてくれるものでもありました。ベトナムは医療制度が発展途上の小国であり、私たちはパンデミックがこの地で拡大したときに引き起こすであろう被害についてとても心配していました。ベトナム政府は、感染が確認された初日からパンデミックを深く憂慮していました。新型コロナウイルスの検査と治療は無料で行われています。隔離中または自宅待機にある人たちには、毎日の食事、検温、健康相談が提供されており、隔離期間中仕事に行けない貧しい地域の住民には経済的援助も行われました。政府はまた貧しい家庭に対する食品配達も行なっています。多くの大家さんたちは入居者の家賃を放棄することで、この困難な時期に多大な支援を行なっています。

ヴー・キム・トゥー

ロックダウン中のハノイの様子①
ロックダウン中のハノイの様子②(撮影:Vu Manh Tien)
ロックダウン中のハノイの様子③




What are you doing at home?  - Asian Artist Ver.


03 .  Vu Kim Thu    (artist | Vietnam)


Vu Kim Thu


Born in 1976. Lives in Hanoi, Vietnam.

Vu creates sensitive installation work using paper-formed lanterns. During the 2018 residency program, the artist researched the communities and the architectuers in relation to the history of Fukuoka city. Vu created an installation, Dreaming with Water, using Yame washi papers and Vietnamese hand-made papers and exhibited it in the exhibition ART IN HAKATA OLD TOWN in 2018.

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2020.5.02


I am living in Hanoi, Vietnam


Since late January 2020, when the coronavirus (COVID-19) was spreading uncontrollably in Wuhan, China, we were worried as Vietnam is very close to China. Therefore, all schools from kindergarten to university have been closed for the last three months, switching the teaching/learning programs into the online format. So far in Vietnam, there have been 270 patients; among those, 222 already being recovered, and there is no death. I live in Hanoi, the city of over 8 million people with a high risk of the infection as its population is very congested.


In February and early March, our Government required all passengers arriving in Vietnam to declare their travel history and to check their temperature at the airport. However, that was not enough, by the second week of March, numbers of COVID-19 patients started to increase, those are mainly from the outside visitor's source affecting both Hanoi, Ho Chi Minh city and some provinces.


For the last five weeks of late March and April, the government has decided to close the borders to tourists and only open for Vietnamese citizens to return home from abroad. And all arrival passengers would be sent into quarantine in military bases or remote hospitals when they landed at the airport.


April was particularly difficult. Hanoi was completely closed except pharmacies and groceries that were allowed to open. Everything else was shut down, including public transportation, taxi, museums, and institutions. Even exercising by the park or walking by the lake was forbidden. I have never seen such an empty Hanoi like this in my life. Every day, we used to watch the news at 6 am and 6 pm, because that was when the Ministry of Health informed the new infection cases, recovered cases, and people’s lives under quarantine.


Vietnam is trying to keep COVID-19 under control. That is why we develop a system called F0, F1, F2. If a person is diagnosed as positive, he or she would be labeled as F0, his/her spouse, parents, children who live in the same house with F0 would become F1, then friends, neighbors who contacted this person would become F2. The government can trace down places where all F0, F1, F2 have been in the last 14 days, and the people in those areas would also being in quarantine and locked down. That is why even though we only have 270 cases, however, there have been over 50.000 people being put into quarantine both at home as well as in the military bases. We are fully aware of our vulnerable health system and working very hard in controlling COVID-19 in order not to spread it.


I have never witnessed such a pandemic with a huge crisis like this in my life. It affected all countries, all my family, friends all over the world from different backgrounds in society. For the past months living with social distancing, I have much more time to reflect and to think about what is essential in life, and here they are.


We are all in this storm together. I spent a lot of time chatting with my friends from the U.S, Europe, and different parts of Asia, checking in to see how they are doing and if their families are ok, then talking about difficulties we are facing. It just made me realize life is so precious and very impermanent. Things that we used to do in daily life before the pandemic (such as walking by the lake, going to the cinema, gathering with friends) that we took it for granted has now become a luxury. Minimalism has become our lifestyle during the lockdown. For years, my hope was always that I would be able to adopt Minimalism as my way of living one day, but I never succeed in doing it. During the pandemic, it forced us to do so. Since many people lost their jobs, including myself, the major income was down that I must focus on spending money only on what is truly important such as basic food, household good, basic medication. I have been wearing my pajamas since January. When I look around my house, into my closet, I realize that there are so many things I don’t even need. I think after the pandemic is over, it will change how people’s perspectives about material possession. We are social distancing physically but not mentally.


I have never talked to friends so much as I have done in the last two months. Since many of my friends whom I haven’t gotten a chance to talk to for many years are under the lockdown now, we become closer through the small frame of the screen. Via Zoom, Skype, Messenger, we check in to ask if they are safe, update on the situation in where they are, if anyone need help, then we share our art practice, talking about current movies, TV show, opera, orchestra, performance, museum and doing yoga online. I can’t imagine what it would be like in this pandemic without the internet. In many ways, I feel we are geographically apart, but we are so close together in this. Art is a very powerful tool to contribute to society. In addition to being a form of entertainment, art reflects reality, and it tells the story during our crisis. Many of my artist friends have contributed their artworks to organize an auction to raise money to help the doctors and nurses. They are also making face masks to deliver them for free for the community; one of them even creates a unique mask design with his drawing on it.


The pandemic has brought out the kindness in many people and reset the value of life. It also shows a sweet side of our Government in Vietnam. Since Vietnam is a small country with a developing healthcare system, we are very worried about this pandemic, and the damage could happen if it spread here. The government took the pandemic very seriously since it started. The cost of COVID-19 testing and treatment is free. People under quarantine and being locked down are provided with daily meals, temperature checks, health consultations and even more many people in the poor area got paid financially during their quarantine time as they couldn’t go to work. They also provide food delivery to many low-income families. Many landladies and landlords have waived the rent for the tenants, helping them tremendously during this difficult time.



Vu Kim Thu

A view of Hanoi during the lockdown 01

A view of Hanoi during the lockdown 02(Photo:Vu Manh Tien)

A view of Hanoi during the lockdown 03