2020年5月5日火曜日

♯おうちであじび ✏️おうちで知りたいアジアのアート✏️Vol.6

当館アジアギャラリーでは「あじび研究所」と題して、2018年度より全7回に渡って作品1点を深掘りするコーナー展示を試みました。

本ブログでは、その時の写真やテキストを改めてご紹介します。


第6回目は、マーリガーワゲー・サルリス(スリランカ)の《ガウタマ・シッダールタ王子の誕生》をとりあげます。



本作は、1920年代以降にスリランカで流通した一連の仏教版画作品のうちの1点です。この仏教版画作品は、マーリガーワゲー・サルリスとその周辺の画家によって描かれた釈迦の生涯や前世の物語がリトグラフ印刷されたものです。スリランカ全土で爆発的な人気をよび、当時、町から村まで仏教徒の家にはどこもサルリスの絵がかかっていたといわれます。

ここでは画題、サルリスの業績、作品の制作背景についてみていきます。


マーリガーワゲー・サルリス
《ガウタマ・シッダールタ王子の誕生》
20世紀前半  
リトグラフ・紙
福岡アジア美術館所蔵

画面の記載:
画面右下:M. Sarlis-Del
枠外左下:COPYRIGHT RESERVED.
D. WILLIAM PEDRIS COLOMBO.
枠外中央下:The Birth of Prince Siddhartha Gautama


◆画題について

本作には、紀元前5世紀ごろに生まれ、後に仏教の開祖となるシャーキャ(釈迦)族の王子ガウタマ・シッダールタが誕生した場面が描かれています。

シャーキャ族の長シュッドーダナ(浄飯王)の妃マーヤー(摩耶夫人)は、出産のために故郷に帰る途中、ルンビニー園で休んでいたところ、急に産気づき、木に右手をかけたところ右の脇の下から王子が生まれます。お付きの女性たちがマーヤーを見守り、天からかけつけた神々が、王子を抱きかかえ、祝福をしています。

祝福に満ちた場面ですが、母親であるマーヤーは、この7日後に亡くなり、王子はマーヤーの妹マハープラジャーパティによって育てられることになります。

ルンビニーは、インド国境に近いネパールの村で、現在はシッダールタの生地として、仏教の四大聖地のひとつとされています。

シッダールタの誕生の場面は、仏教文化が伝わる地域では人気のある主題であり、試芸(弓や相撲の腕前くらべ)、出家、剃髪、初転法輪(最初の説法)などの場面とともに、日本でも仏伝図の一場面として古くから描かれてきました。


スラティン・タタナ(タイ)
《釈迦の誕生》2004年
福岡アジア美術館所蔵


マーリガーワゲー・サルリス(スリランカ)
《弓の腕前を披露するシッダールタ王子》20世紀前半 
福岡アジア美術館所蔵


マーリガーワゲー・サルリス(スリランカ)
《出家:髪を切り落とすシッダールタ王子》20世紀前半 
福岡アジア美術館所蔵


◆作者はどんな人?

この作品を描いたマーリガーワゲー・サルリス(1880-1955)は、スリランカ南部のアンバランゴダに生まれ、スリランカの近代美術において、画家、デザイナー、彫刻家として活躍し、先駆的な役割を果たしたアーティストです。

サルリスは、マーリガカンダ寺院の僧侶育成の寺院学校(後の国立スリジャヤワルダナ大学)で仏教を学び、さらに当時スリランカでも有数の優れた学問僧ヒッカドゥワ・スリ・スマンガラ(1817-1922)に、パーリやサンスクリットといった古典語、作詩学などを学びました。

宗教的な絵画を制作していた父方の叔父ヴィダンの影響から、画家としての人生を歩み始めた後、仏教だけでなくキリスト教の壁画や絵画も描くリチャード・ヘンリカス(1864-1933)と出会い、ヘンリカスの弟子として、西洋画風の仏教壁画の技法を学びました。またヘンリカスの弟で劇場の背景画などを制作していたジョージのもとでも修業し、舞台美術の手法も学びました。

1911-20年にはマーリガカンダ寺院のために24点の仏教壁画と彫刻を制作したほか、そうした壁画を元にした本作を含む仏教版画で人気を博します。そのほか、新聞や雑誌の広告デザインや子ども向けのブックデザインなどおこなったほか、セイロン美術学校を設立するなど幅広い活動をおこないました。


Source:SUNDAYOBSERVER
http://archives.sundayobserver.lk/2010/10/10/mon17.asp


◆スリランカの歴史と仏教の展開

スリランカは、紀元前4世紀頃に仏教が伝わり、王の庇護のもと豊かな仏教文化が育まれ、現在も人口の約7割を仏教徒が占めています。

伝来当初から今日まで、多くの仏教寺院が建てられ、その中には仏陀の生涯や前世の物語、スリランカの仏教伝来の物語などの壁画が描かれてきました。

16世紀初頭、ポルトガルの艦隊が漂着して以降、オランダ、イギリスなど、欧米列強の覇権争いがスリランカでもおこり、その間にキリスト教の文化も入ってきました。19世紀初頭、イギリスの本格的な植民地支配がはじまったことで、これまで国王の庇護で支えられていた仏教界は次第に衰退していきます。

しかし19世紀後半から、旧来のエリート層や経済力をもつようになった新興の富裕層の中には、伝統文化へ回帰する者もみられるようになりました。彼らは、新たに寺院を建立したり、仏教系の教育機関を作ったり、仏教の復興に力を尽くすようになりました。こうした動きは、後にシンハラ仏教ナリョナリズムとして、独立運動と結びついていきます。サルリスがスリランカ美術の表舞台に立ったのはこうした時代でした。







◆仏教版画制作の背景

サルリスが、寺院に描いた壁画を1920年代に仏教徒の実業家ウィリアム・ペドリスによって、ドイツで大量にリトグラフ印刷され、スリランカで販売されました。その後、売れ行きがよかったため、1925年にスリランカの会社が版画集を印刷したことで、さらに飛躍的に人気が高まりました。町から村までスリランカの仏教徒の家には、どこもサルリスの仏教版画がかけられていたといいます。

ヨーロッパの文化や美術にも熟知したサルリスは、伝統的な仏教壁画に加え、キリスト教美術や舞台美術などの要素をとりいれることで、新しい仏教絵画のイメージをつくりあげていきました。本作では、例えば、登場人物の衣装はインド風ですが、庭園や建物、左前景の花、孔雀など、西洋的な要素が組み合わされ、遠近法を用いて描かれています。

こうした新しい要素が、スリランカで大衆的な人気を集め、それまで寺院でしかみることのできなかった仏教のさまざまな物語は、スリランカの各家庭でみられるようになり、スリランカではポピュラーなイメージとして定着していきました。

また1925年は、シンハラ仏教ナショナリズムの旗手であり、後にスリランカ独立の父と称されるアナガーリカ・ダルマパーラ(1864-1933)が《ブッダからのメッセージ》という歴史的な著書を出版した年でもあり、サルリスの仏教版画は、ダルマパーラの思想とあわさったことで、より広く人々に浸透していったとも考えられています。

なお、福岡アジア美術館では、サルリスのサインが入った14点と、別の作家とされる類似の作品6点の、計20点を所蔵しています。その一部にはドイツで印刷されたことが記されていますが、本作には印刷場所の明記はありません。しかし、1920年代以降のこうした流れの中で制作されたものだと考えられます。
(担当学芸員 山木裕子)


【参考文献】

足羽與志子「スリランカにおける仏教寺院壁画と現代の寓話―ポスト・コンフリクトまでのイメージ・ハウス」(2016年/NACT review 国立新美術館研究紀要No.3)
中村元「ブッダの人と思想」(1995年/日本放送出版協会)

あじび研究所Ⅵ
マーリガーワゲー・サルリス《ガウタマ・シッダールタ王子の誕生》
福岡アジア美術館アジアギャラリー
2019/6/27〜9/24

Maligawage Sarlis
The Birth of Prince Siddhartha Gautama
Early 20c
Lithograph on paper
Collection of Fukuoka Asian Art Museum

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