1997年の年の瀬、暖かなムンバイでナリニ・マラニのスタジオを探しました。
そこは下町の古い雑居ビルの中にあり、複雑なつくりの廊下と階段を上へ上へとのぼってやっとたどりついたように覚えています。廊下の途中には、突然、豊満な胸が鎮座していて仰天したり(きっと豊穣を願う神様にちがいない?!)。とにもかくにも初めてのインドは、やはりディープな体験に満ちていました。
《略奪された岸辺》1993年 |
作者のスタジオについて、「あなたの作品の色やモチーフは、この町のビルの壁や通りの雰囲気に似ていますね」と感想を述べると、作者は「Yes、この町の壁や通りからヒントを得ているのよ」というようなことを答えてくれました。
そんな話をしながら、この小さな部屋でどうやって大きなアイデアがうまれ、作品を制作できるのか不思議に思ったこと、窓から差し込む暖かな陽ざしの中で作者がキラキラした笑顔で語ってくれたことを、いまもはっきり思い出します。
《略奪された岸辺》の右2枚には、作者がこの作品を制作していた時に勃発したムンバイ暴動が描かれている。 |
小さなスタジオに座り込んで説明するナリニ・マラニ |
この絵には、惨劇の中でも自分のことに集中しているような牛も描かれています。その様子は、けたたましいクラクションにも、起こっている出来事にも我関せず歩く牛のいるムンバイの通りを思いおこさせます
《略奪された岸辺》に描かれた牛 ムンバイの通り(作家スタジオの近く) ムンバイの通り(作家スタジオの近く)
どこの都市もインフラが整備されて、通りは花壇や絵の描かれたフェンスで飾られ、悠然と歩く牛に渋滞することもなくなっています。空港や博物館の門前で物乞いに取り囲まれることもなく、安全な街に変わっています。
現在のムンバイ空港。美しい建築が青空に映える。 |
街の混沌とした様子は、いまではナリニのこの絵の中に息づくだけになっています。
(学芸員・ラワンチャイクン寿子)