1992年夏。北京郊外の円明園には、名刺に「自由画家」と印刷した若いアーティストたちが集まり、アーティストビレッジ「円明園芸術家村」ができていました。1989年に世界を震撼させた天安門事件の余波ののこる時代です。自由に表現することは難しく、美術家としての先の見えない不安や矛盾にみちた体制への諦めに似た気持ちを抱えながら、アーティストたちは、村を訪れた(おそらく)初の外国人学芸員であるわたしに、自分たちの作品を見せ、真剣に説明してくれました。明るく笑いながらも、実際には出口を見つけようとしていたのだと思います。もちろんこの時のわたしは、学芸員になりたての見習い状態だったのですが。
ファン・リジュン《シリーズ 2 No.3 》1992年 |
そのとき訪ねた一軒が、ファン・リジュンの小さな画室でした。スタジオというよりも画室といったほうがふさわしい部屋で、もうひとりの画家と二人でシェアしていました。
残念ながら本人は不在でしたが、壁に立てかけられていた何枚もの絵は、まさにこの《シリーズ2》でした。同じスキンヘッドの顔で不遜に笑う青年が、何人も歩いていたり、ひとり大きく描かれていたり、まるで画室の中をゾロゾロと歩き回っているかのようでした。その強烈な印象はいまも忘れがたく、思えば、あの時が、わたしがアジア現代美術に出会い、後にアジア美術館で勤務することになった転機でした。
わたしは、この作品を展示するたびに、あの日に戻ります。その日の円明園の空は、まさにこの絵のようでした。青いけれども、どこか不安。その不安に押しつぶされたかのような絵の中の歪んだ顔。コピーされた一様な若者たち。この絵には、当時の閉塞感が漂う社会に生きる作家の所在のなさや、奇妙な笑いの奥に隠した抵抗が透けて見えます。
ファン・リジュン《九三、八号》1993年 |
アジア美術館自慢のコレクションの一部を紹介する今回の展示には、ファン・リジュンの他の作品も展示しています。水中でピースサインをおくるファン・リジュンの油絵、逃げるように泳ぐファン・リジュンを彫った木版画、そして円明園などで撮影されたファン・リジュンのスナップ写真です。
シュ・ジーウェイ(徐志偉)によるファン・リジュン(方力鈞)の写真
来年4月9日までファン・リジュンのコレクションを一堂に展示しています。90年代のファン・リジュンに会いにきて、その時代の空気を感じてください。(学芸員・ラワンチャイクン寿子)