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「ヒンドゥーの神々の物語」展によせて  忘却のレッスン~『マハーバーラタ』の深みにハマる(上)

 

1 『マハーバーラタ』への道

329日まで開催中の「ヒンドゥーの神々の物語」を見て、『ラーマーヤナ』と並ぶインドの大叙事詩『マハーバーラタ』にだいぶ昔(1989年頃?)に出会ったことを思い出しました。『マハーバーラタ』はとんでもなく長大な物語で、「サンスクリット原典で全18巻、10万詩節、1200章、20万行を超える世界最大の叙事詩」(山際素男による)。聖書の約3倍半と言われてもピンときませんが、山際編訳の9巻本[1]は計3119ページ。池田運の全訳[2]4巻で4126ページにもなります。武人たちを中心として神々や聖者や美女など多数の人物が登場する物語ですが、中心となるのは、パーンダヴァ家5兄弟(ユディシュティラ、ビーマ、アルジュナ、ナクラ、サハデーヴァ)と、カウラヴァ家100人兄弟の、親族どうしの凄絶な戦争(クルクシェートラの戦い)でクライマックスを迎える壮大きわまりないお話です。

作者不詳《カウラヴァ族とパーンダヴァ族の戦争》20世紀前半 福岡アジア美術館蔵

本筋以外にこの一族の長い歴史も、ナラ王とダマヤンティ、シャクンタラー姫(このふたつは岩波文庫で独立した本になってます)を含む無数の物語も、戦争の後日譚も、後述の高名な「バガヴァット・ギーター」のようなヒンドゥー教の聖典も含まれます。現代人は多忙なうえに娯楽がいくらでもあり、わずかな空き時間もスマホに奪われていますから、全部を通読する余裕(忍耐力?)のある人はほとんどいないでしょう。インド国営テレビ・ドゥールダルシャンで198810月から19906月まで放映され最高視聴率が92%という驚異的な人気を集めたテレビシリーズのDVDも、だいぶ後になってインドの書店で入手しましたが[3]45分の94回分!DVD19枚!なんて見る時間はとれそうもなく、第1回だけしか見てません……。

ドゥールダルシャン放映(B.R.チョプラ製作、ラヴィ・チョプラ監督)
『マハーバーラタ』DVDボックス(2008年) 筆者蔵

横山光輝の『三国志』みたいにマンガで気楽に読めるといいんだけど……そんなの日本では出ていませんから、私が『マハーバーラタ』の全体像を把握できたのは、レグルス文庫の3冊本(下記参考文献参照)からです。新書版で全816ページと短かく、主となるストーリーがコンパクトにまとめられています。もうひとつは、日本のテレビで録画した、ピーター・ブルック演出の演劇(1985年)に基づく、1989年の映画[4]。元は舞台劇ですから、インドのテレビ番組のような(今の眼ではかなりローテクな)特撮映像はほとんどなかったと思いますが、世界各地から集めた、様々な人種・文化の俳優たちによる演技、全体の荘重で厳粛で超俗的な雰囲気は十分に吸引力をもっていて、レグルス文庫版よりもはるかに『マハーバーラタ』の精神性にふれることができました。あまりに感動したので、6時間近いのに2回も見た覚えがあります[5]

 

2 「もの忘れ」の呪い

このような手軽(安易?)な接しかたの範囲ですが、ではなぜ『マハーバーラタ』が(インドについて特に深い知識もない)私にも鮮烈な印象を与えたのでしょうか。まずは(特にブルック版で強調された)多様なキャラクターの魅力です。人間離れした人徳や知力や意志や戦闘力の持ち主だけでなく、いやむしろそういう人こそ、生身の人間には逃れられない失敗、愚行、卑劣さを経験し、避けられない過酷な運命に襲われるのです。典型的なのは、人徳で知られるユディシュティラの失策です。彼はカウラヴァ家の長兄ドゥルヨーダナに博打にさそわれてイカサマとも知らず負け続け、領土、財産、兄弟と妻(5人兄弟共通のドラウパディー)まで失ってしまうのです[6]。(なお前述のインドのテレビで最高視聴率を記録したのが、博打のカタにとられたドラウパディーが服を脱がされる回[7]。実際はクリシュナの加護で裸にはならないことをインド人ならたいてい知っているだろうに[笑])またこのユディシュティラは、猛烈な戦闘力を示す敵将ドローナの戦意を失わせるために、嘘をつきます。(ドローナの息子と同じアシュヴァッターマンと名付けた象を弟のビーマが殺し、真相を問い詰めるドローナに対し、ユディラシュテラが、「象の…」のところだけ小声で言って「…アシュヴァッターマン」が殺されたと告げたため、それを信じたドローナが戦意を喪失する。)勝つために手段を選ばない戦争の非情さ、卑劣さを示すエピソードです。しかしこれにとどまらず、以下に述べるカルナとの闘いのように、パーンダヴァ側を勝たせるために、アルジュナの御者であり精神的な指導者でもあるクリシュナは、しばしば倫理に反するような策を使うのです。その冷徹な指揮の恐ろしさは、核兵器をも思わせる殺戮兵器や、全人類が滅亡へとすすんでいくような戦慄にもつながっていきます(最終的に勝利をおさめるパーンダヴァ軍も、父をだまし討ちされて怒りくるったアシュヴァッターマンによってほとんど殺されてしまう)。このような人間観の深さと運命の恐ろしさにおいて、『マハーバーラタ』は、(私の知る限り)『ラーマーヤナ』をはるかにしのいでいます。

しかし私が個人的に『マハーバーラタ』からショックを受けたのは、もっとささやかな……いや、ささやかだからこそ現代人にも日常的に起こりそうなエピソードです。御者の身分(実はそうでないことが明らかになる前)のカルナは、ビーシュマ、ドローナの後を継いで、3人目のカウラヴァ軍の総司令官になりますが、ふたつの呪いによってアルジュナに討たれます。ひとつは闘いの最中に自分の戦車の車輪が地中にはまって動けなくなってしまう呪い。さらにもうひとつの呪いにより、必殺の兵器ブラフマスートラを呼び起こすための文句(マントラ)がどうしても思い出せなくなること[8]。これが私には個人的に衝撃だったのは、加齢による記憶力の低下を自覚する(「老いるショック」?)以前に、若いころから記憶力がとても悪く、仕事でも生活でもさんざん恥ずかしい思いをしてきたからです……。赤瀬川原平が「老人力」と名付けたように「忘却力」のメリットもあると自分を慰めてきましたが、大戦争の危機的な状況のなかでフレーズを思い出せないという致命的な物忘れがあるとは……それが私にも(あなたにも!)起こらない保証はありません!  ([下]つづく)

黒田雷児(学術交流専門員) 




[1] (下)の参考文献参照。インドに足しげく通い多数のインド題材の作品を制作した日本画家・秋野不矩(ふく)の挿絵と、多数のブックデザインをおこなった渡辺千尋のデザインなので魅力的な本になってますのでおすすめ。

[2] 文末の参考文献参照。題名を「マハバーラト」としているように、人名など固有名詞の読みが他と異なっています。なお上村勝彦による原典訳(ちくま学芸文庫)は訳者の死去により未完。

[3] 今はインターネット上で見れます(字幕ありませんが)。

[4]ピーター・ブルック演出の『マハーバーラタ』は東京の銀座セゾン劇場で1988529日から722日に上演されました。1回の上演に9時間を要します。英語の参考文献参照。

[5] あいにくそのVHSテープを紛失してしまいましたが、今ではテープやDVDは市販されています。

[6] 立派な人が博打ですべてを失うというのは『マハーバーラタ』の別の有名なエピソード、ダマヤンティーの夫ナラ王の話にも出てきます。よほどインドでは上流階級でも博打で破滅する人が多かったということでしょうか……

[7] 『生活とアート I インドのカレンダーアート 女神からピンナップへ』(福岡アジア美術館、2000年)、9-1の作品解説(p.72) 

[8] なおこのような窮地に陥ったカルナを、戦闘態勢をとれない相手とは戦わないという掟を破ってアルジュナに討ち取らせるのは、またしてもクリシュナなのです。