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12月, 2021の投稿を表示しています

ワークショップ「マスキングでインドの文様を作ろう!」を開催しました。

   さる11月27日・28日に、ワークショップを開催しました。このワークショップは、6月21日から9月21日までアジアギャラリーで開催していた展覧会「あじびレジデンスの部屋 第2期『つくってふれてアジアの文化』」の関連イベントとして、当初、8月末に開催予定でしたが、新型コロナ感染症の影響で延期されていた催しです。当時の応募者が多数だったため、実施日を一日増やす形で2日間にわたって行いました。  ワークショップは、2017年に当館で滞在制作をおこなったインドのアーティスト、クルパ・マーヒジャーさんが当時開催したプログラムを体験する内容になっており、ワークショップの講師は筆者が務めましたが、クルパさんは今回のためにインドの文様や制作プロセスについてスライドを作成しておくってくれました。そしてワークショップの最後には、クルパさんとオンラインで結んで作品についてのコメントしてもらい、参加者との交流をはかりました。            手順を説明            文様を下描き            液体ゴムでマスキング  参加くださった方の中には、マスキングテープを使った創作と勘違いしていた方もいましたが、液体ゴムを使ったマスキングの技法を楽しんでくれていました。            上から絵の具を着彩       絵の具が乾いてから液体ゴムを剥がす作業は、結構盛り上がりました。         インドのクルパさんから作品のコメントをもらいました。  終了後のアンケートでは、 ・オンラインでインドと繋がって、クルパさんと直接お話ができたことに感動しました。  コロナ渦ならではかとも思いましたが、今後もこのように世界中のアーティストと繋がれる可能性があると思うと、少し明るい気分になれました。 ・液体ゴムを使って行うということで、自分では思いもつかない方法だったので、とても興味深かった。 ・大人になると、何かひとつのことに集中することが減ってきますが、時間が足りないくらい集中できて、完成した後の気持ちいい疲労感がなんとも言えず、また作ってみたいなと思っています。 ・また、クルパさんとオンラインで交流できたことも、直接お話を伺うこともできたので、貴重な体験になりました。 といった、非常に励まされるコメントをいただきました。  今年はコロナ禍でアジアからアーティストの招聘

日本経済新聞内「美の粋」にて、福岡アジア美術館のベトナム作品4点が取り上げられました!

  少し遅れての報告になってしまいますが、先日 11 月 21 日の日本経済新聞日曜版 NIKKEI The STYLE 内の「美の粋」というコーナーで、当館所蔵のベトナム作品 4 点を取り上げていただきました。 テーマが「ベトナム戦争のころ(下)」ということで、絹絵の巨匠グエン・ファン・チャンの《籐を編む》( 1960 年)およびベトナム戦争ポスターのファム・ヴィエット・ホン・ラム《ベトナム化戦争の悲劇(ベトナム対ベトナム)》( 1972 年)、グエン・ニ・ザオ《ディエンビエンフーの勝利をもう一度》( 1972 年)、ファム・ミン・チー《人民に永遠の春をもう一度》( 1975 年)など、今回紹介された作品はいずれも 1960 年代から 1970 年代にかけて、ベトナム戦争に揺れる激動の時代に当時のベトナム民主共和国(北ベトナム)で制作されたものです。 グエン・ファン・チャン《籐を編む》1960年 ファム・ヴィエット・ホン・ラム 《ベトナム化戦争の悲劇(ベトナム対ベトナム)》1972年 グエン・ニ・ザオ《ディエンビエンフーの勝利をもう一度》1972年 ファム・ミン・チー《人民に永遠の春をもう一度》1975年 ちなみに本記事の一週間前に掲載された前編「ベトナム戦争のころ(上)」では、同時代のアメリカの現代美術、すなわち 1950 年代から 60 年代にかけてニューヨークで隆盛を極めたポップ・アートが取り上げられています。戦争の渦中でしのぎを削っていたベトナムとアメリカ。両者のコンテクストを掘り下げて、当時のそれぞれの美術を再考する企画というわけです。 さて、当館所蔵作品の特集に戻りますが、農村の女性たちが籠を編む穏やかな風景を描いたグエン・ファン・チャンの絹絵と、戦意高揚を明確に意図した力強いプロパガンダポスターが、同時代の美術として並んでいるのは一見奇妙に思えるかもしれません。 しかし、当時ベトナム民主共和国(北ベトナム)を率いていたベトナム共産党は、美術作品において描かれるべき主題は「労働者・農民・兵士」であるとして、芸術家たちにその方針に沿った制作を要請しました。一方グエン・ファン・チャンは、フランス植民地統治下であった学生時代から一貫して穏やかな農村の暮らしを描き続けてきた画家です。また、「絹絵」はそもそもベトナム近代において「創られた伝統」として

おうちで知りたいアジアのアート Vol. 13  東京オリンピックと大阪万博のリュ・キョンチェ ――アジア美術国際化のはじまり

12 月 25 日まで「 あじびコレクション X―③  越境する美術家―郭仁植 ( クァク・インシク ) と柳景埰 ( リュ・キョンチェ)   」で展示しているリュ・キョンチェの作品《季節》は、どちらも当館所蔵の韓国作品で最も古い 1962 年の制作になります。 韓国は全アジアでも現代的な表現の美術が早くから展開し、 1975 年に東京画廊で「 五つのヒンセク〈白〉 韓国 5 人の作家 」が日本における最初の「単色絵画」の紹介として知られています。そのために、福岡市美術館でも「単色絵画」が収蔵され、それらは国際的な批評眼にも耐える独自性をもつ韓国美術の代表として今や美術市場で驚くべき高額で売買されるようになりました。しかしその反面、アジ美では東南アジアやインドの「近代美術」コレクションが充実しているのに対し、 20 世紀初頭から展開した韓国の「近代美術」は 1 点も収集できておらず(戦争などであまりに多くの作品が失われ、美術市場に重要作品が出ることはほとんどない)、その意味でも 1962 年のクァク・インシクとリュ・キョンチェ作品は(作品も人生も対照的ですが)貴重といえます。  さて、このリュ・キョンチェの履歴を調べてみて気になる記述がありました。韓国の老舗の美術雑誌 『 月刊美術 』 のサイト (韓国語)で 1964 ~  東京オリンピック祝賀美展(東京) 1965 ~   第8回東京ビエンナーレ国際展 (東京) 1970 ~ 1973     Expo 展(大阪)  とあり、同様の情報はリュ・キョンチェの図録にも見ることができます。なぜこれが気になるかというと、毎日新聞社他主催の 東京ビエンナーレ(正式名称は 「日本国際美術展」 )は、 1970 年の中原佑介企画による伝説的展覧会以外に歴史的・国際的な役割が知られていないからですし、 1964 年の東京オリンピックと 1970 年の日本万国博覧会(大阪万博)は、戦後日本の高度経済成長と国際化を世界に知らしめた巨大国家プロジェクトであり、それが東京や大阪に限らない都市改造を生み、美術を含む様々な文化領域に大きな影響を与えたからです。特に大阪万博は、 1960 年代初頭の「前衛」とされてきた美術家、建築家、デザイナー、音楽家が国や大企業の予算を 湯水のように 使える機会となり、よくも悪しくも