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6月, 2020の投稿を表示しています

#おうちであじび 🎤おうちで何してる?(アジアのアーティスト編)🎤 Vol.05

※English below※ 本シリーズでは、レジデンスプログラムや展覧会であじびに滞在したことのあるアーティストに、今住んでいる街の様子や自身の状況、また現地での芸術活動についての報告を紹介していきます。第5回目は、バングラデシュ在住のアーティスト、ジハン・カリムさんからの現地報告です。 第5回:ジハン・カリム (アーティスト / バングラデシュ) 1984年、バングラデシュ、チッタゴンに生まれる。 [招へい] 2014年9月18日〜2014年10月28日 【 滞在中の活動 】 「 第5回福岡アジア美術トリエンナーレ2014 」の交流プログラムに参加し、2つの作品を滞在制作した。ひとつは、「 糸島国際芸術祭2014糸島芸農 」に福岡の映像作家、牧園憲二と共同制作して不用品を用いて制作したインスタレーション「to C」をメイン会場の稲荷山に設置した。もうひとつは、サイトスペシフィックな映像作品「通りから」で、「博多リバレイン灯明」で、博多川にかかる橋の下に展示した。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2020年5月10日 みなさん、こんにちは。ジハン・カリムと申します。バングラデシュのチッタゴンという港町に住んでおり、現在はチッタゴン大学美術学部の准教授をしています。また、「ジョグ・アート・スペース」のメンバーとして、路上での実験的な展覧会やワークショップ、セミナーなどを企画しています。 バングラデシュにおけるパンデミック、新型コロナウイルスは波のように広がりつつあります(現在、1万4千人が感染しています)。国の医療検査体制は感染を特定できるほど整備されておらず、メディアからのデータを見ると感染者の数はさらに多いと思われます。政府は40日間の都市封鎖を行いました。しかし、人々の生計に関して言えば、医者や銀行員のような職業以外、つまり低所得者層の人々は仕事のために外出せざるをえない状況です。特に、衣料品店、食料品店、市場で働く人たちや、リキシャ引き、物乞いの人々です。ですから、都市封鎖は豊かな中流階級か上流階級の人びとにとってわずかに効果がある、といったくらいです。 私たちの美術家コミュニティは、いくつかの試み(寄付を募る、貧しい人々に食料を配ったり、防護服を医療者に

#おうちであじび 🎤おうちで何してる?(アジアのアーティスト編)🎤 Vol.4

※English below※ 本シリーズでは、レジデンスプログラムや展覧会であじびに滞在したことのあるアーティストに、今住んでいる街の様子や自身の状況、また現地での芸術活動についての報告を紹介していきます。第4回目は、台湾在住のアーティスト、キャンディー・バードさんからの現地報告です。 第4回:キャンディー・バード (アーティスト / 台湾) 1982年、台北に生まれる。2006年、華梵大学芸術学部卒業。街の中の巨大な壁面に、社会や歴史に取材した人々の姿を描き出すアーティスト。 [招へい] 2019年2月18日〜2019年3月29日 [ 滞在中の活動 ] 東アジア、文学、壁画、ストリートアートにフォーカスしたアート・プロジェクト「アザーズ(他者)」を実施した。移住者や自分の場所になじめずに疎外感を抱く人々などを取材して、彼/彼女らに私的な物語を書いてもらい、それらを壁画に描き出した。完成した作品は、同年10月に開催された「博多旧市街まるごとミュージアム」に出品された。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2020年5月04日 連絡ありがとうございます。この困難な時代だからこそ、お互いがより繋がっていければと思います。 私は今台北にいます。(新型コロナウイルスの)状況はそこまでひどくなかったので、私を含め多くの人が台湾に住んでいてよかったと感じています。こちらは普段通りの生活で、美術館やギャラリーも開いています。唯一残念だったことは、ウイルスをめぐって台湾とWHOのあいだで起きた政治ドラマをインターネット上で目にしたことぐらいです。 3月から5月9日にかけて台北で 個展 を行っていました。新型コロナウイルスの影響で、ギャラリーでも体温の計測、マスクの着用、実名での予約制等、厳格な措置が取られていました。オープニングに全員マスクを着けて参加してくれた光景は、私にとってもいつもと違うユニークな経験になりました。個展の方も結果的にはうまくいったと思います。 今は、今年の夏に予定されている 嘉義市立美術館 でのグループ展に参加するため、嘉義市の歴史に関するアートプロジェクトを準備しています。嘉義市は、日本統治時代に優れた美術作家たちを輩出したこともあり、台湾の美術史のなかで