スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

3月, 2020の投稿を表示しています

1990年的在福岡蔡國強(から思うこと) Recall from Cai Guoqiang in 1990 Fukuoka

千葉県の美術館で紙をテーマとした中国現代美術展。蔡國強(ツァイ・グオチャン)が 1990 年のミュージアム・シティ・天神のために制作した作品2点をアジ美から貸し出し。ほかアジ美関係作家では 邬 建安(アジ美での読みはウー・ジエンアン)。 雲巻雲舒―現代中国美術展・紙 ( 20 日開会となっていますが、行かれる前に再度 HP で開館状況をご確認ください。) このときの作品です(蔡スタジオのサイト) Museum City Tenjin ‘90: Circulation of Sensibility-Visual City, Functioning Art この作品が図解している福岡・北天神(長浜船溜、今もある KBC 塔近くの空き地)での準備過程と爆発の瞬間を記録した映像( ミュージアム・シティ・プロジェクト 提供)も世界初公開 !!!! (笑)。 蔡さんが、小雨降る日暮れに、ほぼ関係者しか見ていない中、地面をはいずり泥にまみれて爆発プロジェクトを延々準備し、当時は無名の中国人作家を周りの人が期待感をもって手伝い、また見守る情景は、のちに彼が世界的アーティストとなったことを思えば、ある意味では感動的です。 若き日のらーさんが手伝おうにも何をしていいかわからずおろおろしてます (笑) 。 最初、このくらいまで書いてフェイスブックにのせようと思ったら、らーさんが「思い出すことなど」あるというのでブログ前提に続けます。 らーさんが蔡さん(ツァイでなく、当時みんな「さいさん」と呼んでた)に会ったのは 1989 年 11 月、岡山の牛窓国際芸術祭でした。彼は出品作家ではなかったのですが(出品はウー・マーリー含む台湾、韓国、日本作家)、蔡さんはシンポジウムで 1989 年 2 月の中国美術館での歴史的な中国現代美術展にいたる 80 年代の中国前衛美術を紹介する発表者として来ていたのです。翌年 2 月に蔡さんが大阪府立現代美術センターで黄鋭(ホアン・ルイ、中国最初の前衛美術グループ〈星星〉メンバー)と二人展をやったときに、らーさんは(仕事の都合か?で)夜行バスで大阪まで行った覚えがあります(ほぼ満席だったので最前列で対向車線のヘッドライトで眠れない)。そのさらにあとだと思いますが、らーさんが東京で蔡さんの展覧会を見たあとだったろ
先日FacebookやTwitterでご紹介をし、ご好評いただいている オンラインアジア美術館(Google Art & Culture,Google Maps) のご紹介です。 アクセスすると、下記のような美術館コンテンツのトップページに入ります。 下方にスクロールすれば、アジ美の所蔵品153点の画像が閲覧できます。 Google A&Cでは、閲覧している作品と同じような作品を自動でサジェストしてもらえるので、 アジ美の作品をきっかけに古今東西様々な作品との出会いを楽しむこともできます。 ストリート(ギャラリー)ビューの話に戻りますが、ここで矢印の人型マークをクリックすると、突然アジアギャラリーのど真ん中に飛ばされます。 いきなりドン!と リキシャ (バングラデシュで使われている人力車。リキシャ・ペインティングと呼ばれる装飾が施される。)のおしりが見えています。 左手には カルロス・フランシスコ(フィリピン)≪教育による進歩≫ 、右手には メイ・ディンイー(台湾)≪トロツキーに捧ぐ≫ が見えますね。 ちなみにですがリキシャの左側に見える低い机といすは、 お子様がアジア美術の塗り絵 をするためのもので、アジアギャラリーでいつでも楽しんでいただけます。 さて、ここからこの時のアジアギャラリーについてお話しますが、同じビュー内で館内掲示ポスターを見られるポイントが一つあり、それらのポスターを見ると撮影日は 2015年9月9日(水) であることがわかります。 このときのアジアギャラリー展示内容は、いずれもコレクション展である、 一粒の希望―土地は誰のもの?! フシギ? の世界―ここではないどこかへ の2展です。 最初にみなさんが召喚されるポイントは、この2展示のちょうど中間である、 「珠玉のアジアコレクション」 というコーナーの最初の部屋になります。 つまり、上の画像から右に移動すれば、アジアギャラリーの入口に向かいながら、「一粒の希望」展を見ることとなり、 左に移動すれば、「珠玉のアジアコレクション」の後半と「フシギ?の世界」展を見ながら、順路通りにギャラリー出口へ向かうこととなります。 ですので、アジアギャラリーを最初から観覧したい方は、初めの