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12/2~クルパ・マーヒジャー滞在制作作品公開&トーク!

クルパ・マーヒジャー 滞在制作作品公開&トーク!  平成29年度福岡アジア美術館招聘事業で、来日したクルパ・マーヒジャーさんが、90日間の滞在を終えるにあたり、福岡で制作した作品を公開いたします。  福岡の歴史や記憶をテーマに、福岡城に関わる絵図や文書の画像を石や瓦に転写し、本の中に埋め込んだ作品「再訪、歴史とアイデンティティ」ほか1点を展示します。  クルパさんの視点で浮かび上がる福岡の歴史をぜひ体感してください。 ◎作品公開  12月2日(土)~25日(日) ◎トーク   12月2日(土)14:00~15:00          *逐次通訳(英語/日本語) □場 所   福岡アジア美術館 交流スタジオ(8F) ◆アーティスト紹介 クルパ・マーヒジャー/Krupa Makhija 1983年グジャラート(インド)生まれ、アーメダバード(インド)在住。 消えゆく文化や歴史、記憶をテーマに、使い古された素材で美しいインスタレーションを制作するアーティスト。(滞在期間:2017年9月7日~12月5日)

あのときのリー・ウェンから思うこと(また改訂)

「サンシャワー」展 の紹介にはならないかもしれないけど、この機会に、どうしても書かせてもらいたいことがあります。 展示中の「イエローマンの旅」の記録写真のひとつに、輪郭だけで人体が描かれている床に置かれた白い布のカットがあるのにお気づきでしょうか。 日にちは1994年9月30日。そう、イエローマンが天神でのパフォーマンスを決行した日です。よく使われる新天町の写真のあのとき。その写真では左側に帽子に口髭というあやしい男性がうしろにいますが、現F市美術館のN副館長(伏字の意味なし)です。それはともかく。 イエローマンがIMS(福岡以外の人のため…「イムズ」と読みます。横書きで手書きすると「仏(ほとけ)ズ」になっちゃいます。どうでもよかった)を訪れると、地下二階に大きな布を広げて制作中だったのが、あの小沢剛です。FT1作家。彼は第4回アジア美術展と同時期に開催され、正式に協力関係を結んでいたミュージアム・シティ・天神(MCT)に参加していたのです。(話はそれますが、当時長期間海外研修中で私が福岡にいないときに、福岡市美のIY学芸課長がMCTの山野真悟氏(現・ 黄金町エリアマネジメントセンター )に相互協力を提案したと伝え聞いたとき、ついにMCTが美術館にも認知されたかと、すごく感激した覚えがあります。 で、話を戻し、小沢氏がIMSで制作していたのは、「なすび新聞」です。彼の重要な作品である「なすび画廊」は、内側を白く塗った牛乳箱を、東京の狭小な空間で狭い美術業界のなかだけで成立している日本の美術の慣習を皮肉った、彼ならではの楽しさと批評性とコラボレーションを伴う作品でした。当時の小沢氏は、手書きのファックス(!!!)での「なすび新聞」を発行していました(私もそれを受け取っていて、福岡市美術館の「ネオ・ダダの写真」展の広告をのせてもらったこともあります)。この1994のMCTでは、いろいろな作家(会田誠!福田美蘭!村上隆!中村政人!ほかの今や豪華メンバー!)に展示してもらった「なすび画廊」を天神各所に展示し(小さいから融通きくのです)、また「なすび新聞」の巨大版をIMSで制作していたのです。そこに現れたのがイエローマンで(小沢氏はたぶん予期していなかったと思うが)、即座にその場でイエローマンの登場がニュースにしようと、リー・ウェンが布の上に横たわり、体の輪郭を描か